この大奮闘にもかかわらず、チームは11対12で敗戦。鬱憤は自らの投球で晴らすしかない、とばかりに翌22日は先発投手として8回を無失点に封じる。2回以降は1本のヒットも許さず、これまた自己新記録の13奪三振。完璧に近い内容で6勝目を挙げた。
ネビン監督いわく「7回で降ろそうとしたが『この試合は自分のもの』と譲らなかった」。キャリアで10奪三振と8打点を両方記録した選手さえメジャー史上他に一人しかいないのに、それを2日間でやってのけた大谷。対戦相手のウィット・メリフィールドが口にした「同じフィールドに立っているだけで楽しい」は、野球選手に対する最高の褒め言葉だろう。
●9
(2023年6月12日)
「今年こそエンジェルスはプレーオフに進出できるのでは?」――6月頃まではそのような雰囲気が確かに流れていた。もちろん、その希望をもたらしていたのは、またも超人的なシーズンを送っていた大谷の働きだった。
12日のレンジャーズ戦では、5回に反撃の狼煙となる犠飛を打ち上げると、7回には同点19号ソロ。打った瞬間に確信してバットを放り投げた一撃で、ア・リーグ本塁打部門のトップに並んだ。そして延長12回、タイブレークで二塁に走者を置いた第6打席で20号2ラン。「打ってるシチュエーションが良かったので、なおさらにうれしい」と振り返った決勝弾となった。
翌日は本塁打こそなかったものの、2安打3四球で全打席出塁。試合には敗れた14日も最終回に21号。左翼2階席へ飛びこんだ打球は、思い切り引っ張ったかのような強烈な当たりだったが、それもそのはず。左打者が逆方向に放ったホームランとしては史上最速(116.1マイル)だった。4連戦を締めくくる15日は投手として6回2失点。降板後、1点リードの8回には22号2ランで6勝目を確実なものとした。
「こういうことを成し遂げ続ける限り、MVPは毎年彼のものだ」とのネビン監督の言葉に、反論できる者がいるだろうか?
●10
ダブルヘッダーで完投&2本塁打の離れ業
(2023年7月27日)
「野球選手として史上最高の日だったんじゃないか」。対戦相手タイガースの投手マット・マニングはこのように語った。噂になっていたトレードが立ち消えになり、エンジェルス残留が決まった当日に、大谷が投打両方で見せつけた八面六臂の活躍は、間違いなく後世に語り継がれていくはずだ。
直前の3登板はいずれも5失点と、不安定な投球が続いていた大谷だったが、第1試合で最高のピッチングを演じる。打たれたヒットは5回の先頭打者ケリー・カーペンターの中前打のみ。8奪三振、3四球の111球で、メジャー初完投を完封勝利(9勝目)で飾った。
「チーム的にも、個人的にも良かった」と試合後の取材で述べた大谷は、驚いたことに45分後の第2試合でも2番・DHとして先発出場。第2打席でマニングからレフトへ37号2ランを放つと、続く第3打席も右中間へ38号。ダブルヘッダーでの完封勝利+2本塁打は史上初の出来事であり、マニングのコメントは決して誇張ではなか
った。
しかしながら、大谷は次の打席には立てなかった。理由は筋肉のけいれん。驚嘆の一日を送った一方で、肉体には相当な負担がかかっていた。「史上最高の日」は、本来とるべき休養を犠牲にして成し遂げられたものでもあった。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。
【大谷ドジャース入団会見一問一答】「とにかく勝ちたいという意志の強さが心に残った」――本人が明かすドジャース決断の舞台裏
【関連記事】“人種の壁”打破に西海岸移転、野球の国際化推進...球界に数々の革命をもたらしたドジャースこそ大谷翔平にふさわしい<SLUGGER>
ネビン監督いわく「7回で降ろそうとしたが『この試合は自分のもの』と譲らなかった」。キャリアで10奪三振と8打点を両方記録した選手さえメジャー史上他に一人しかいないのに、それを2日間でやってのけた大谷。対戦相手のウィット・メリフィールドが口にした「同じフィールドに立っているだけで楽しい」は、野球選手に対する最高の褒め言葉だろう。
●9
(2023年6月12日)
「今年こそエンジェルスはプレーオフに進出できるのでは?」――6月頃まではそのような雰囲気が確かに流れていた。もちろん、その希望をもたらしていたのは、またも超人的なシーズンを送っていた大谷の働きだった。
12日のレンジャーズ戦では、5回に反撃の狼煙となる犠飛を打ち上げると、7回には同点19号ソロ。打った瞬間に確信してバットを放り投げた一撃で、ア・リーグ本塁打部門のトップに並んだ。そして延長12回、タイブレークで二塁に走者を置いた第6打席で20号2ラン。「打ってるシチュエーションが良かったので、なおさらにうれしい」と振り返った決勝弾となった。
翌日は本塁打こそなかったものの、2安打3四球で全打席出塁。試合には敗れた14日も最終回に21号。左翼2階席へ飛びこんだ打球は、思い切り引っ張ったかのような強烈な当たりだったが、それもそのはず。左打者が逆方向に放ったホームランとしては史上最速(116.1マイル)だった。4連戦を締めくくる15日は投手として6回2失点。降板後、1点リードの8回には22号2ランで6勝目を確実なものとした。
「こういうことを成し遂げ続ける限り、MVPは毎年彼のものだ」とのネビン監督の言葉に、反論できる者がいるだろうか?
●10
ダブルヘッダーで完投&2本塁打の離れ業
(2023年7月27日)
「野球選手として史上最高の日だったんじゃないか」。対戦相手タイガースの投手マット・マニングはこのように語った。噂になっていたトレードが立ち消えになり、エンジェルス残留が決まった当日に、大谷が投打両方で見せつけた八面六臂の活躍は、間違いなく後世に語り継がれていくはずだ。
直前の3登板はいずれも5失点と、不安定な投球が続いていた大谷だったが、第1試合で最高のピッチングを演じる。打たれたヒットは5回の先頭打者ケリー・カーペンターの中前打のみ。8奪三振、3四球の111球で、メジャー初完投を完封勝利(9勝目)で飾った。
「チーム的にも、個人的にも良かった」と試合後の取材で述べた大谷は、驚いたことに45分後の第2試合でも2番・DHとして先発出場。第2打席でマニングからレフトへ37号2ランを放つと、続く第3打席も右中間へ38号。ダブルヘッダーでの完封勝利+2本塁打は史上初の出来事であり、マニングのコメントは決して誇張ではなか
った。
しかしながら、大谷は次の打席には立てなかった。理由は筋肉のけいれん。驚嘆の一日を送った一方で、肉体には相当な負担がかかっていた。「史上最高の日」は、本来とるべき休養を犠牲にして成し遂げられたものでもあった。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。
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