9回表、大歓声を受け、大谷はブルペンから7年ぶりとなるリリーフのマウンドへ向かった。前年にナ・リーグ首位打者に輝いた先頭のジェフ・マクニール(メッツ)には四球を与えたものの、続くベッツを二塁ゴロで併殺に打ち取る。あと1アウトで優勝、1点差で対するはメジャー最強打者のチームメイト――。栗山が常々口にする「野球の神様」が仕組んだ舞台が整った。
初球は低めに外れるスイーパー。2球目はトラウトが得意とする低め、100マイルの4シームだったが空振り。のちに彼自身が「打てたはずの球だった」と悔しがった1球だった。3球目も約100マイルの4シームで、わずかに外角へ外れる。4球目、再び100マイル近い4シームはど真ん中、またも空振り。5球目は約102マイルの4シームがやや引っかかってボールになり、これでカウント3-2。
そして6球目――大谷の投じた渾身のスイーパーに、トラウトのバットは三たび空を切った。グラブと帽子を放り投げて咆哮する大谷。これほど感情を露わにした大谷の姿は、それまで誰も見たことがなかったはずだ。「打たれても抑えても悔いの残らない球を投げたいと思っていた」結果は日本の3大会ぶりの優勝だった。
大谷の周りに侍ジャパンのチームメイトが群がり歓喜に沸く中、トラウトは何度もスコアボードを振り返りながらベンチへ戻っていった。 悔しいはずのアメリカの面々も、最後の場面には興奮していた。「誰もが見たかった対決が実現するなんて、運命と言うしかない。残念ながら負けてしまったが、それでもとんでもなくクールだった」(アレナード)。代表監督のマーク・デローサの感想はこうだっ
た。「本当にシナリオに描いたような展開だった。結末が、マイクの500フィートのホームランだったら良かったんだが」
野球では、このようなドラマティックな状況が必ず用意できるわけではない。9人の打者が順番に打席に立つ“民主的”なスポーツだからだ。サッカーやバスケットボールなら、ここ一番のシュートは大抵スーパースターが打つが、野球ではサヨナラの好機で8番打者に回ったりする(だからこそ、意外なヒーローが現れもする)。この名シーンは極めて低い確率、百万に一つの偶然とすら言えるものだった。
「もちろん望んだ結果ではない。第1ラウンドは彼の勝利だ」と大谷を称えたトラウト。6月にベッツのポッドキャスト番組に出演した際には「大きいのを狙わなきゃならなかった。いつものやり方じゃないから上手く行かなかったんだと思う。でもとにかく長打を打つ、それしか頭の中にはなかった」と振り返った。その後、大谷とはWBCについて語り合ったことはなく、二人の関係にも変化はないという。
次回、3年後のWBCもトラウトは「DHでもレフトでもいいから」必ず出ると明言している。「人生で一番楽しい10日間だった。ファンも、地元のチームを応援するのと自分の国を応援するのは全然違うだろう」。それほどWBCの経験と感激は大きかったよう
だが、勝利を逃した悔しさもそこには含まれているに違いない。
もしトラウトが17年に参加して優勝していたら、それで満足
して今年は出なかったかもしれない。大谷にしても、17年に出ていれば、今回はそこまで思い入れが強くはなかったろう。
大谷は8月に右ヒジ側副靱帯を損傷し、9月に手術。24 年シーズンは登板しないことが決まった。この故障が1年早かったら、もしくはWBCの開催が1年遅かったら、夢の対決は幻に終わっていた。やはり我々が目にしたのは、本当に何もかもが噛み合って生ま
れた奇跡だったのだ。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。
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初球は低めに外れるスイーパー。2球目はトラウトが得意とする低め、100マイルの4シームだったが空振り。のちに彼自身が「打てたはずの球だった」と悔しがった1球だった。3球目も約100マイルの4シームで、わずかに外角へ外れる。4球目、再び100マイル近い4シームはど真ん中、またも空振り。5球目は約102マイルの4シームがやや引っかかってボールになり、これでカウント3-2。
そして6球目――大谷の投じた渾身のスイーパーに、トラウトのバットは三たび空を切った。グラブと帽子を放り投げて咆哮する大谷。これほど感情を露わにした大谷の姿は、それまで誰も見たことがなかったはずだ。「打たれても抑えても悔いの残らない球を投げたいと思っていた」結果は日本の3大会ぶりの優勝だった。
大谷の周りに侍ジャパンのチームメイトが群がり歓喜に沸く中、トラウトは何度もスコアボードを振り返りながらベンチへ戻っていった。 悔しいはずのアメリカの面々も、最後の場面には興奮していた。「誰もが見たかった対決が実現するなんて、運命と言うしかない。残念ながら負けてしまったが、それでもとんでもなくクールだった」(アレナード)。代表監督のマーク・デローサの感想はこうだっ
た。「本当にシナリオに描いたような展開だった。結末が、マイクの500フィートのホームランだったら良かったんだが」
野球では、このようなドラマティックな状況が必ず用意できるわけではない。9人の打者が順番に打席に立つ“民主的”なスポーツだからだ。サッカーやバスケットボールなら、ここ一番のシュートは大抵スーパースターが打つが、野球ではサヨナラの好機で8番打者に回ったりする(だからこそ、意外なヒーローが現れもする)。この名シーンは極めて低い確率、百万に一つの偶然とすら言えるものだった。
「もちろん望んだ結果ではない。第1ラウンドは彼の勝利だ」と大谷を称えたトラウト。6月にベッツのポッドキャスト番組に出演した際には「大きいのを狙わなきゃならなかった。いつものやり方じゃないから上手く行かなかったんだと思う。でもとにかく長打を打つ、それしか頭の中にはなかった」と振り返った。その後、大谷とはWBCについて語り合ったことはなく、二人の関係にも変化はないという。
次回、3年後のWBCもトラウトは「DHでもレフトでもいいから」必ず出ると明言している。「人生で一番楽しい10日間だった。ファンも、地元のチームを応援するのと自分の国を応援するのは全然違うだろう」。それほどWBCの経験と感激は大きかったよう
だが、勝利を逃した悔しさもそこには含まれているに違いない。
もしトラウトが17年に参加して優勝していたら、それで満足
して今年は出なかったかもしれない。大谷にしても、17年に出ていれば、今回はそこまで思い入れが強くはなかったろう。
大谷は8月に右ヒジ側副靱帯を損傷し、9月に手術。24 年シーズンは登板しないことが決まった。この故障が1年早かったら、もしくはWBCの開催が1年遅かったら、夢の対決は幻に終わっていた。やはり我々が目にしたのは、本当に何もかもが噛み合って生ま
れた奇跡だったのだ。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。
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