「今日の敗戦が来季につながるか」と記者陣から質問を受けると、菅野は被りを振ってこう答えたのだった。
「最後に登板機会を与えてくれたチームメイト、監督とコーチの期待に応えたかったですけど、でも、自分の中では今日の試合だけではなく、今シーズンは悔しいことばっかりだった。今までが順調にいきすぎていていたのかなと思います。ただ、そこに甘んじているわけではないんですけど、どうにもできない悔しさがあったんで、自分の力に変えられるシーズンになったと思います」
なんとか舞台に立つことはできたが、これまでのように支配的なピッチングというところまではたどり着けなかった。腰痛から始まった今季は、トップパフォーマンスを出す難しさを感じたに違いない。
「ファームで過ごす時間があって、そこで得られたことはあります。でも、それをプラスに思っているようじゃダメだし、もう一度、自分を見つめ直して、レベルを上げるところはところはあげて、いい状態で来季に臨みたいです」
悔しさの中で見せた来季への決意からは、彼の真摯な野球への姿勢を感じた。連日、菅野に張り付いている立場ではないが、幾度かの試合取材を通して彼から感じるのは、自身の球界での立ち位置を深く理解しているということだ。
巨人のエースであり、球界を代表する投手であること、そして、原辰徳監督の甥であるということ。望んだもの、そうでないものも含めた自身の立ち位置を自覚しての取材対応には、背負っている人間が醸し出す強さを感じる。もちろん、どんな日も上機嫌というわけにはいかないだろうが、そういった姿勢から菅野の野球への、仕事への真摯な向き合い方を感じずにはいられないのだ。
「これまでが上手くいきすぎていた」
悔しい敗戦直後にそう簡単に言える言葉ではないと思うが、この一言に、彼の野球人としての姿勢が凝縮されている。
今季、菅野に変わって大活躍をした山口がポスティングシステムを利用して海を渡った。
制度上、立場上、本音が言えないというのが彼の置かれた状況でもある。
そんな中で迎える、五輪イヤーでもある2020年。
菅野にとって、野球人生を大きく揺るがす1年になるのは間違いない。
取材・文●氏原英明(ベースボールジャーナリスト)
【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園という病』(新潮社)、『メジャーをかなえた雄星ノート』(文藝春秋社)では監修を務めた。
「最後に登板機会を与えてくれたチームメイト、監督とコーチの期待に応えたかったですけど、でも、自分の中では今日の試合だけではなく、今シーズンは悔しいことばっかりだった。今までが順調にいきすぎていていたのかなと思います。ただ、そこに甘んじているわけではないんですけど、どうにもできない悔しさがあったんで、自分の力に変えられるシーズンになったと思います」
なんとか舞台に立つことはできたが、これまでのように支配的なピッチングというところまではたどり着けなかった。腰痛から始まった今季は、トップパフォーマンスを出す難しさを感じたに違いない。
「ファームで過ごす時間があって、そこで得られたことはあります。でも、それをプラスに思っているようじゃダメだし、もう一度、自分を見つめ直して、レベルを上げるところはところはあげて、いい状態で来季に臨みたいです」
悔しさの中で見せた来季への決意からは、彼の真摯な野球への姿勢を感じた。連日、菅野に張り付いている立場ではないが、幾度かの試合取材を通して彼から感じるのは、自身の球界での立ち位置を深く理解しているということだ。
巨人のエースであり、球界を代表する投手であること、そして、原辰徳監督の甥であるということ。望んだもの、そうでないものも含めた自身の立ち位置を自覚しての取材対応には、背負っている人間が醸し出す強さを感じる。もちろん、どんな日も上機嫌というわけにはいかないだろうが、そういった姿勢から菅野の野球への、仕事への真摯な向き合い方を感じずにはいられないのだ。
「これまでが上手くいきすぎていた」
悔しい敗戦直後にそう簡単に言える言葉ではないと思うが、この一言に、彼の野球人としての姿勢が凝縮されている。
今季、菅野に変わって大活躍をした山口がポスティングシステムを利用して海を渡った。
制度上、立場上、本音が言えないというのが彼の置かれた状況でもある。
そんな中で迎える、五輪イヤーでもある2020年。
菅野にとって、野球人生を大きく揺るがす1年になるのは間違いない。
取材・文●氏原英明(ベースボールジャーナリスト)
【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園という病』(新潮社)、『メジャーをかなえた雄星ノート』(文藝春秋社)では監修を務めた。