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プロ野球

【プロ野球トレード収支の大検証:第3回】三冠王・落合の中日放出と引き換えに、投手力強化を目指したロッテの目論見は大失敗

出野哲也

2021.01.02

<ロッテ>牛島だけでは埋められなかった損失
 ロッテは落合の後釜として、86年に打率.265、7本塁打だった愛甲猛を外野から一塁へ回したが、打率.260、8本塁打でPV-6.8。その後も94年までレギュラーを務めたものの、PVがプラスだったのは88年(2.3)の一度だけだった。
 
 交換要員の目玉だった牛島は87年に24セーブ、防御率1.29、PV15.3と期待通りの成績。だが、翌88年は25セーブを挙げたものの、防御率は4.47で、PVも-3.7と大きく後退してしまった。先発に転向した89年は12勝、防御率3.63、PV9.9と盛り返したが、90~91年はヒジ痛でほとんど投げられなかった。93年を最後に32歳で引退し、ロッテでの通算PVは19.1だった。平沼はロッテに在籍した9年間、主に中継ぎで261試合に投げたものの、合計PV-28.4と期待ほど伸びなかった。桑田は3年間で6試合の登板に終わった。

 上川は前年36盗塁でタイトルを取っていた西村徳文を三塁に追いやり、正二塁手となったが打率.256、PV-4.0。89年に打率.285、12本塁打でPV5.3だったのが最高で、移籍後は一度も規定打席に到達せず、7年間の合計はPV-1.9だった。4人合わせてもPVは落合の10分の1にも満たず、ロッテは主砲放出後、8年連続5位以下の長期低迷期に突入してしまった。
 
 交換要員のうち、野手が上川だけだったのがロッテにとっては失敗だった。落合ほどの強打者を手放すなら、軽量級の上川ではなく、同じスラッガータイプの選手を補充すべきだった。中日はどうしても落合が欲しい事情があったのだから、巨人と競わせて条件を吊り上げることもできたはず。強気で交渉していたら、宇野か大島、悪くても川又米利あたりが取れていた可能性はあった。

 そうせずにあっさりトレードを決めてしまったのは、ロッテ側にも扱いの難しい落合をさっさと追い出したいという思いがあったからだろう。結果的に、86年はリーグ3位の622得点だった打線は、87年は518得点と100点以上も減らし、5位まで転落している。

 とは言うものの、大島や川又を取っていたところで落合の巨大な穴は埋められなかった。三度も三冠王になった打者の代わりなど、簡単に見つかるわけもない。そう考えれば、交換要員として投手をメインとしていたことも、あながち間違いではなかった。ロッテの誤算は牛島が故障したことと、平沼が期待通りに成長しなかったこと。2人がもう少し活躍できていれば、ここまでの大失敗にはならなかったかもしれない。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。

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