スティーブ・ナッシュは、アレン・アイバーソンやコビー・ブライアントなどが指名され、NBA屈指の当たり年に挙げられる1996年ドラフト組において、全体15位でフェニックス・サンズに入団。
カナダ出身の191cm・81kgの司令塔は、98年に加入したダラス・マーベリックスでレギュラーに定着し、2001-02シーズンに平均17.9点、7.7アシスト、3ポイント成功率45.5%を残しオールスターに初出場。04年にサンズに復帰すると、チームをウエスタン・カンファレンス上位に導き、05、06年に2年連続MVPに輝いた。
15年に引退すると、同年から20年までゴールデンステイト・ウォリアーズのチームコンサルタント、20~22年までブルックリン・ネッツでHC(ヘッドコーチ)を歴任し、現在は古巣サンズのシニア・アドバイザーと、プライムビデオで解説を務めている。
18年には殿堂入りを果たした名ガードは、レブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)と共同ホストを務めるポッドキャスト番組『Mind The Game』の最新回で、若き日のステフィン・カリー(ウォリアーズ)が「自分を引退に追いやった」と告白した。
現在51歳のナッシュは「私を引退させた責任の一部は君(カリー)にもあると思う」と切り出し、レイカーズに在籍していた14年の出来事について語った。
「プレシーズンでウォリアーズと対戦したんだ。確かカリフォルニア州のオンタリオだったと思う。試合が始まって、私がステフをマークしたら、第1クォーターだけで50点くらい取られた。いや、実際は45点だったかもしれないけど、体感では50点だったね」
ナッシュは続ける。
「カリーはコート中を走り回っていて、私はもう背中がボロボロだった。たとえ100%の状態でも止められなかったと思う。しかもスティーブ・カー(HC)は、私を全部のピック&ロールに巻き込んできたんだ」
14年10月12日にカリフォルニア州オンタリオのトヨタ・アリーナで行なわれた試合は、ナッシュにとって大きな転機となった。プレシーズンとはいえ、ウォリアーズは第1クォーターで39-13とレイカーズを圧倒し、最終的に116-75で大勝した。
当時26歳のカリーは23分半の出場で4本の3ポイントを含む25得点、6リバウンド、6アシストを記録。40歳のナッシュは12分間でフリースロー3本の3得点、1アシストに終わった。
「もう潮時だと思ったね。それから3、4日くらい考えて、『もう引き際だな』と感じたんだ。それでミッチ(カプチャック/当時のゼネラルマネージャー)に電話したよ」とナッシュ。
この年のレイカーズには大黒柱のコビーのほか、元オールスターのカルロス・ブーザー、ルーキーのジュリアス・ランドルらが在籍していたが、ナッシュは背中の故障により全休を余儀なくされ、チームはウエスタン・カンファレンス14位の21勝61敗と惨敗した。
一方、カリー率いるウォリアーズはリーグトップの67勝15敗の好成績を残すと、プレーオフでも順調に勝ち上がり、ファイナルではレブロン擁するクリーブランド・キャバリアーズを4勝2敗で撃破し、40年ぶり4度目の優勝を成し遂げた。
ナッシュはその後、ウォリアーズのコンサルタントに就任。引退のきっかけを作ったカリーは当時について、「気づいたら彼が練習に顔を出して、僕たちにピック&ロールを教えていたんだ」と笑いながら振り返っていた。
構成●ダンクシュート編集部
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15年に引退すると、同年から20年までゴールデンステイト・ウォリアーズのチームコンサルタント、20~22年までブルックリン・ネッツでHC(ヘッドコーチ)を歴任し、現在は古巣サンズのシニア・アドバイザーと、プライムビデオで解説を務めている。
18年には殿堂入りを果たした名ガードは、レブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)と共同ホストを務めるポッドキャスト番組『Mind The Game』の最新回で、若き日のステフィン・カリー(ウォリアーズ)が「自分を引退に追いやった」と告白した。
現在51歳のナッシュは「私を引退させた責任の一部は君(カリー)にもあると思う」と切り出し、レイカーズに在籍していた14年の出来事について語った。
「プレシーズンでウォリアーズと対戦したんだ。確かカリフォルニア州のオンタリオだったと思う。試合が始まって、私がステフをマークしたら、第1クォーターだけで50点くらい取られた。いや、実際は45点だったかもしれないけど、体感では50点だったね」
ナッシュは続ける。
「カリーはコート中を走り回っていて、私はもう背中がボロボロだった。たとえ100%の状態でも止められなかったと思う。しかもスティーブ・カー(HC)は、私を全部のピック&ロールに巻き込んできたんだ」
14年10月12日にカリフォルニア州オンタリオのトヨタ・アリーナで行なわれた試合は、ナッシュにとって大きな転機となった。プレシーズンとはいえ、ウォリアーズは第1クォーターで39-13とレイカーズを圧倒し、最終的に116-75で大勝した。
当時26歳のカリーは23分半の出場で4本の3ポイントを含む25得点、6リバウンド、6アシストを記録。40歳のナッシュは12分間でフリースロー3本の3得点、1アシストに終わった。
「もう潮時だと思ったね。それから3、4日くらい考えて、『もう引き際だな』と感じたんだ。それでミッチ(カプチャック/当時のゼネラルマネージャー)に電話したよ」とナッシュ。
この年のレイカーズには大黒柱のコビーのほか、元オールスターのカルロス・ブーザー、ルーキーのジュリアス・ランドルらが在籍していたが、ナッシュは背中の故障により全休を余儀なくされ、チームはウエスタン・カンファレンス14位の21勝61敗と惨敗した。
一方、カリー率いるウォリアーズはリーグトップの67勝15敗の好成績を残すと、プレーオフでも順調に勝ち上がり、ファイナルではレブロン擁するクリーブランド・キャバリアーズを4勝2敗で撃破し、40年ぶり4度目の優勝を成し遂げた。
ナッシュはその後、ウォリアーズのコンサルタントに就任。引退のきっかけを作ったカリーは当時について、「気づいたら彼が練習に顔を出して、僕たちにピック&ロールを教えていたんだ」と笑いながら振り返っていた。
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