1996年のドラフト全体13位指名でNBA入りしたコビー・ブライアントは、20年間のキャリアをロサンゼルス・レイカーズ一筋で過ごし、歴代4位の通算3万3643得点をマーク。リーグ優勝も5回(2000~02、09、10年)経験し、2006年1月のトロント・ラプターズ戦では歴代2位となる1試合81得点を叩き出した。
アメリカ代表でも08年、12年とオリンピックで2度金メダルを獲得。ヘリコプター墜落事故で命を落とした20年には数々の功績が認められ、バスケットボール殿堂入りを果たしている。
その中で、現役時代にコビーともしのぎを削ったポール・ピアース(元ボストン・セルティックスほか)が様々なポッドキャストを運用する『Playmaker』提供の番組『No Fouls Given』で、「コビー・ブライアントはリーグの顔になったことはない。マイケル・ジョーダンの後はシャキール・オニール(シャック)やアレン・アイバーソンだった」と指摘。辛辣とも言える意見は大きな反響を呼んだ。
これを受けて、元NBA選手のギルバート・アリナス(元ワシントン・ウィザーズほか)は、自身のポッドキャスト『The Gilbert Arenas Show』でピアースの意見に反論し、コビーに対する自身の考えを述べた。
「NBAの顔と言うのは、つまりNBAがその選手をプッシュしているということだ。コビーに関して言えば、2008年がきっかけだろう。(北京)オリンピックでアメリカ代表として金メダルを獲得した後、彼らは再び“コビー・ブランド”を推し始めた。2008~10年にかけて、コビーは正式にNBAの顔となったんだ」
00~02年のレイカーズ3連時のコビーはシャックに次ぐ2番手だったが、09、10年と正真正銘のエースとしてチームを連覇に導く活躍を見せた。アリナスは「ファンにとっては、(コビーがNBA入りした当初の)96年、97年あたりの印象が強いだろう。でも、NBAがプッシュしてくる時こそ、リーグの顔になるんだ。あの3年間(08~10年)は100%間違いない。疑いの余地なんてなかった」と続けている。
「レブロン(ジェームズ)は早い段階でその地位を確立していた。そして、NBAはコビーやDウェイド(ドゥエイン・ウェイド)や(スティーブ)ナッシュをプッシュした。オリンピック後の3年間はコビーがトップだった。その後、またレブロンに戻った。まあ、その頃に俺はトラブルを起こして、そういうことはもう気にしなくなっていたけどね」
何を持って“NBAの顔”とするかは判断が分かれるところだが、コビーが永遠に語り継がれる偉大な選手のであることに疑いの余地はないだろう。
構成●ダンクシュート編集部
「拷問を受けたことがあると言っていた」レイカーズのトレーナーがコビーの仰天エピソードを明かす<DUNKSHOOT>
「本当に辛かった」。若き日のランドルが受けたコビーの“愛のムチ”「でも、それが今の自分につながっている」<DUNKSHOOT>
「レブロンは人に好かれる。一方でコビーは…」NBAの2大スターと共闘経験のある元選手が両者の違いを語る<DUNKSHOOT>
アメリカ代表でも08年、12年とオリンピックで2度金メダルを獲得。ヘリコプター墜落事故で命を落とした20年には数々の功績が認められ、バスケットボール殿堂入りを果たしている。
その中で、現役時代にコビーともしのぎを削ったポール・ピアース(元ボストン・セルティックスほか)が様々なポッドキャストを運用する『Playmaker』提供の番組『No Fouls Given』で、「コビー・ブライアントはリーグの顔になったことはない。マイケル・ジョーダンの後はシャキール・オニール(シャック)やアレン・アイバーソンだった」と指摘。辛辣とも言える意見は大きな反響を呼んだ。
これを受けて、元NBA選手のギルバート・アリナス(元ワシントン・ウィザーズほか)は、自身のポッドキャスト『The Gilbert Arenas Show』でピアースの意見に反論し、コビーに対する自身の考えを述べた。
「NBAの顔と言うのは、つまりNBAがその選手をプッシュしているということだ。コビーに関して言えば、2008年がきっかけだろう。(北京)オリンピックでアメリカ代表として金メダルを獲得した後、彼らは再び“コビー・ブランド”を推し始めた。2008~10年にかけて、コビーは正式にNBAの顔となったんだ」
00~02年のレイカーズ3連時のコビーはシャックに次ぐ2番手だったが、09、10年と正真正銘のエースとしてチームを連覇に導く活躍を見せた。アリナスは「ファンにとっては、(コビーがNBA入りした当初の)96年、97年あたりの印象が強いだろう。でも、NBAがプッシュしてくる時こそ、リーグの顔になるんだ。あの3年間(08~10年)は100%間違いない。疑いの余地なんてなかった」と続けている。
「レブロン(ジェームズ)は早い段階でその地位を確立していた。そして、NBAはコビーやDウェイド(ドゥエイン・ウェイド)や(スティーブ)ナッシュをプッシュした。オリンピック後の3年間はコビーがトップだった。その後、またレブロンに戻った。まあ、その頃に俺はトラブルを起こして、そういうことはもう気にしなくなっていたけどね」
何を持って“NBAの顔”とするかは判断が分かれるところだが、コビーが永遠に語り継がれる偉大な選手のであることに疑いの余地はないだろう。
構成●ダンクシュート編集部
「拷問を受けたことがあると言っていた」レイカーズのトレーナーがコビーの仰天エピソードを明かす<DUNKSHOOT>
「本当に辛かった」。若き日のランドルが受けたコビーの“愛のムチ”「でも、それが今の自分につながっている」<DUNKSHOOT>
「レブロンは人に好かれる。一方でコビーは…」NBAの2大スターと共闘経験のある元選手が両者の違いを語る<DUNKSHOOT>
関連記事
- 「拷問を受けたことがあると言っていた」レイカーズのトレーナーがコビーの仰天エピソードを明かす<DUNKSHOOT>
- 「彼は選ばれし者」――レイカーズOBのクーパーが明かす若きコビーの才能「準備万端だった」<DUNKSHOOT>
- 「レブロンは人に好かれる。一方でコビーは…」NBAの2大スターと共闘経験のある元選手が両者の違いを語る<DUNKSHOOT>
- 『トライアングルをマスターするまでは試合に出させない』──元同僚が明かすジョーダンの厳しさと優しさ<DUNKSHOOT>
- “スニーカーFA”のカリーがレジェンドたちのモデル着用で話題。ウェイドは「愛情を示してくれてありがとう!」と感謝<DUNKSHOOT>




