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NBA

コビー・ブライアントに代表される背番号24の歴史。過去の名選手、現役プレーヤーも多数【NBA背番号外伝】

出野哲也

2020.02.21

2006年に背番号を8から24に変更したコビ-はその後、シーズンMVPと2度のファイナルMVPを獲得。引退後は両方の番号がレイカーズの永久欠番になった。(C)Getty Images

2006年に背番号を8から24に変更したコビ-はその後、シーズンMVPと2度のファイナルMVPを獲得。引退後は両方の番号がレイカーズの永久欠番になった。(C)Getty Images

 1967年にNBAのライバルリーグとして創設され、76年に消滅したABA。その短い歴史において、NBAに最も衝撃を与えた出来事が、リック・バリーの引き抜きだった。

 67年、NBA2年目で得点王に輝いた新進スターを手に入れたABAは、その存在感を大いにアピールした。バリーはABAで計4年間プレーし、NBAのゴールデンステイト・ウォリアーズに復帰してからも24番をつけ続け、永久欠番となっている。晩年にヒューストン・ロケッツへ移籍した際は、モーゼス・マローンが24番をつけており、解決策としてホームで2番、アウェーで4番をつけるほど24には愛着があったようだ。
 
 68年のメキシコ五輪で活躍したスペンサー・ヘイウッドが、69年にABA入りした衝撃も大きかった。当時のNBAでカレッジ出身の選手は卒業までドラフト対象とされていなかったが、ABAにはそのような規制はなかった。そのためヘイウッドは2年で大学を中退してプロ入りを果たし、NBAでもアーリーエントリーが認められるきっかけを作った。ABAのデンバー・ロケッツ(現ナゲッツ)で平均30.0点、19.5リバウンドという規格外の数字を残したヘイウッドは、新人王とMVPを同時受賞し、2年目にはNBAのシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)へ移籍する。NBAでも4年連続でオールスターに選ばれるなど第一線で活躍を続け、同球団の永久欠番になった。

 高校卒業後、直接プロ入りしたのが前述のマローンで、74年にABAのユタ・スターズに入団する。当時は背番号22で、24番になったのはNBA移籍後だった。80、82年にはロケッツでシーズンMVPを受賞し、NBAで初めて成功を収めた高卒選手となった。ただ21年間の現役生活で24番だった時期は4年間と短く、83年にフィラデルフィア・76ersへ移籍した際には2番に変更。これは同球団にボビー・ジョーンズがいたためである。ジョーンズもまたデビューはABA時代のナゲッツ。守備の職人として、8回オールディフェンシブ1stチームに選出された。コビー・ブライアントの悲劇的な事故の直後、シクサーズのジョエル・エンビードはコビー追悼の意味を込め24番でプレーしたが、これはジョーンズに特別な許可を貰い、永久欠番を一時的に復活させたものだった。

 マローンのプロ入りから約20年後の96年、高卒でプロ入りを決断してスーパースターとなったのがコビーだった。当初は8番で、2007年から24番に変更した。24は高校時代に最初につけた番号であり、「1日は24時間。バスケットのショットクロックも24秒」と理由を語っていたが、23番のマイケル・ジョーダンを超えようとの意図があったとも言われている。

 引退後の17年、旧番号の8番ともどもレイカーズの永久欠番となり、死後にはダラス・マーベリックスでも欠番にされた。1試合もプレーしたことのないチームで永久欠番になるのはマイケル・ジョーダン(マイアミ・ヒートの23番)以来であり、コビーがどれほどNBAにとって偉大な存在であったかを示している。
 
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