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【NBAスター悲話】レジー・ルイス――ボストンの英雄を襲った悲劇的な最期【前編】

大井成義

2020.03.06

ルイスは90年代のセルティックスを背負って立つ存在として期待されたが、93年に他界。わずか6年という短いキャリアだった。(C)Getty Images

 NBA屈指の名門球団ボストン・セルティックス。2019-20シーズンもイースタン・カンファレンスで上位を争っているが、そんな"強豪"がかつて不振に喘いでいたことをご存じだろうか。1995-96シーズンから6年連続プレーオフ逸。この低迷は、ある男を襲った悲劇から始まった。エース兼キャプテンのレジー・ルイスが1993年、練習中に急死したのだ。しかもその後、彼の死はドラッグによるものだったとメディアに告発され、彼の妻と球団を巻き込んだ訴訟沙汰へと発展していく――。

   ◆   ◆   ◆

"フランチャイズプレーヤー"という言葉がある。そのフランチャイズを背負って立つ、チームの顔とも言うべき存在。そんな選手がある日突然急死するという事件が起きたのは、今から約四半世紀前、1993年のことだった。ボストン・セルティックスのフランチャイズプレーヤーにして若きキャプテン、レジー・ルイスが練習中に倒れ、悲運の死を遂げてしまったのである。

 ボストンの至宝、ラリー・バードからセルティック・プライドを継承し、NBA随一の伝統と実績を誇るチームの将来はルイスの双肩に委ねられていた。そして、コートを離れたところでも彼は特別な存在だった。穏やかで品格に優れ、コミュニティへの貢献に情熱を注ぎ、ボストン中の人々にこよなく愛されていた。そんなルイスの死に、ボストン市民は悲しみに暮れた。
 
 彼の死去により、セルティックスは出口の見えない暗黒時代に突入する。特に1990年代後半は、見るも無残な状態だった。それまで3年続けてプレーオフ進出を逃したことのなかったチームが、6年連続でプレーオフにたどり着けなかった。
 
 長い低迷期を経て、ようやくタイトルを奪還することができたのは、ポール・ピアースとケビン・ガーネット、レイ・アレンの新ビッグ3が誕生した2007-08シーズン。ルイスの死から、実に15年もの月日を要したことになる。

 だが、すべてのセルティックスファンにとって、15年ぶりのタイトル以上にルイスの無邪気で優しい笑顔こそ、取り戻せるなら取り戻したいものだったに違いない。

■バードの後を次ぎ、栄えあるセルティックス主将に

 1965年、ワシントンDCにほど近いメリーランド州ボルティモアにレジー・ルイスは生まれた。シングルマザーと2人の兄の4人家族は、プロジェクト(低所得者用の公共住宅)に住み、暮らし向きは決して楽なものではなかった。

 シャイで物静かな少年は、当初野球とフットボールに夢中になっていたが、ある日兄から無理やり近所のプレーグラウンドに連れていかれ、それをきっかけにバスケットボールにのめり込んでいく。後のNBAプレーヤー、デイビッド・ウィンゲイトと知り合ったのも、そのプレーグラウンドだった。
 
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