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NBA

【NBAスター悲話】レジー・ルイス――ボストンの英雄を襲った悲劇的な最期【前編】

大井成義

2020.03.06

セルティックス入団1年目は平凡な成績に終わったが、2年目に急成長。一躍チームの中心選手となった。(C)Getty Images

セルティックス入団1年目は平凡な成績に終わったが、2年目に急成長。一躍チームの中心選手となった。(C)Getty Images

 その頃、隣の地区にあるラファイエット・コートでは、同じく後にNBAプレーヤーとなるマグジー・ボーグスとレジー・ウィリアムズが頭角を現わしていた。彼らはライバルとしてしのぎを削りあい、その4人がダンバー高校でチームメイトとなる。今でも語り継がれている伝説のチームは3年間無敗を誇り、ルイスがスターターの座につけなかったほどレベルは高かった。彼らの合言葉は「NBAのプレーオフで会おう」というものだった。

 1983年、高校を卒業したルイスはボストンにあるノースイースタン大に進学した。彼の才能はカレッジで開花し、1年目からスターターとして活躍。平均17.8点をマークすると、2年時には全米の2年生の中で最高得点となる平均24.1点を記録する。大学4年間に記録した2708得点は、当時のECACN(イースタン・カレッジ・アスレティック・カンファレンス・ノース、現AEC=アメリカ・イースト・カンファレンス)レコードだった。

 ルイスの活躍により、ノースイースタン大は4年連続でECACNのタイトルを獲得し、NCAAトーナメントにも4年連続で出場した。運動能力に長け、攻守のバランスが取れた身長201cmのシューティングガード/スモールフォワードは、ECACNの最優秀選手に3年連続で選ばれている。
 
 1987年のNBAドラフト、ルイスはセルティックスから1巡目22位で指名を受けた。その前年のドラフトで、セルティックスは悲劇に見舞われている。1巡目2位で指名した期待の大型新人レン・バイアスが、ドラフトの2日後にコカインの過剰摂取で急死するという、全米を揺るがす一大事件が発生したのだった。

 当時のセルティックスには、バード、ケビン・マクヘイル、ロバート・パリッシュら元祖ビッグ3をはじめ、デニス・ジョンソンやダニー・エインジなど強力な布陣が揃っていたものの、ベテランチームに新たな力を注入しようとしていた矢先の出来事だっただけに、セルティックスが受けたダメージは並大抵ではなかった。

 それゆえ、ルイスへの期待はなおさら大きなものとなった。1年目こそなかなか出場機会を与えられず、平均出場時間8.3分、4.5点と不完全燃焼に終わったが、2年目にローテーション入りを果たし、先発57試合、平均出場時間32.8分、18.5点と成績を飛躍的に伸ばして、チームに欠かせない存在となった。
 
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