1996年のアトランタ五輪に出場したアメリカ代表は“ドリームチームIII”と呼ばれ、8戦全勝で金メダルを獲得した。メンバーの一員だったアンファニー“ペニー”ハーダウェイ(元オーランド・マジックほか)は、当時のチームは92年の“初代ドリームチーム”に次ぐ歴代2番目の強さだったと主張している。
五輪のアメリカ代表と言えば、真っ先にあがるのは92年の初代“ドリームチーム”だ。
89年に国際バスケットボール連盟(FIBA)が国際大会におけるプロ選手の参加を解禁すると、アメリカはマイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン、ラリー・バード、スコッティ・ピッペン、チャールズ・バークレーらNBAのスター選手を送り込み、圧倒的な強さで金メダルを獲得した。のちの殿堂入り選手たちがズラリと並んだ陣容は、「歴代最強」の呼び声高い。
94年の世界選手権(現FIBAワールドカップ)には、若き日のシャキール・オニール(シャック)やアロンゾ・モーニング、レジー・ミラーといった顔ぶれで参戦し、“ドリームチームⅡ”と呼ばれた。
ただ、それにも引けを取らないほど豪華だったのが、96年のアトランタ五輪で金メダルを獲得した“ドリームチームIII”だ。
バルセロナ五輪を知るバークレー、ピッペン、カール・マローン、ジョン・ストックトン、デイビッド・ロビンソンを筆頭に、シャック、ミラー、グラント・ヒル、ミッチ・リッチモンド、ゲイリー・ペイトン、アキーム・オラジュワン、ペニーがメンバーに名を連ねた。
当時25歳だったペニーは『ESPN』の番組『NBA Today』で、「私にとっては『犠牲』だった」と豪華メンバーが揃ったゆえに、アジャストが必要だったと振り返る。 「NBAのレギュラーシーズンで(自己最高で)平均28点していたチャールズ(バークレー)が、(五輪では)平均12点(12.4点)でチーム得点王だったんだ。これだけの殿堂入り選手やトップスコアラーたちがいて、チャールズは平均12点でチームトップだった。つまり、私たちにとって重要なのは『自己犠牲』と『圧倒的な強さ』だった」
そのなかでペニーはペイトンのことを「親友」と話すほど良好な関係を構築。「私とペイトンとジョン・ストックトンから始まる守備があって、スコッティ・ピッペンのような守備意識の高い選手がいて、後ろには“提督”(ロビンソン)たちが控え、ゴール下にはシャックがいた。最高だったよ」と堅い守備を自負した。
さらに、「1996年のチームは史上2番目に強いチームか」との質問には、「そう思う」と回答した。
「Dウェイド(ドゥエイン・ウェイド)、レブロン(ジェームズ)、KD(ケビン・デュラント)、コビー(ブライアント)たちを軽視するつもりはないけど、そう確信している。私たちのチームは非常にバランスが取れていて、特別なことを成し遂げるチャンスがあった。レブロンやDウェイドたちがどれほど偉大かも分かっている。ただ、それでも私たちはオリジナルの『ドリームチーム』に次ぐ、史上2番目に強いチームだと思っている」
ペニーにとって、アトランタ五輪で戦った“ドリームチームIII”は、今なお誇り高い存在であり続けている。
構成●ダンクシュート編集部
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ただ、それにも引けを取らないほど豪華だったのが、96年のアトランタ五輪で金メダルを獲得した“ドリームチームIII”だ。
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当時25歳だったペニーは『ESPN』の番組『NBA Today』で、「私にとっては『犠牲』だった」と豪華メンバーが揃ったゆえに、アジャストが必要だったと振り返る。 「NBAのレギュラーシーズンで(自己最高で)平均28点していたチャールズ(バークレー)が、(五輪では)平均12点(12.4点)でチーム得点王だったんだ。これだけの殿堂入り選手やトップスコアラーたちがいて、チャールズは平均12点でチームトップだった。つまり、私たちにとって重要なのは『自己犠牲』と『圧倒的な強さ』だった」
そのなかでペニーはペイトンのことを「親友」と話すほど良好な関係を構築。「私とペイトンとジョン・ストックトンから始まる守備があって、スコッティ・ピッペンのような守備意識の高い選手がいて、後ろには“提督”(ロビンソン)たちが控え、ゴール下にはシャックがいた。最高だったよ」と堅い守備を自負した。
さらに、「1996年のチームは史上2番目に強いチームか」との質問には、「そう思う」と回答した。
「Dウェイド(ドゥエイン・ウェイド)、レブロン(ジェームズ)、KD(ケビン・デュラント)、コビー(ブライアント)たちを軽視するつもりはないけど、そう確信している。私たちのチームは非常にバランスが取れていて、特別なことを成し遂げるチャンスがあった。レブロンやDウェイドたちがどれほど偉大かも分かっている。ただ、それでも私たちはオリジナルの『ドリームチーム』に次ぐ、史上2番目に強いチームだと思っている」
ペニーにとって、アトランタ五輪で戦った“ドリームチームIII”は、今なお誇り高い存在であり続けている。
構成●ダンクシュート編集部
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