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NBA

“ダブル・ニッケル”から25年。ジョーダンの元同僚が語る、2度目の3連覇の前兆となった“神様”の伝説的パフォーマンス

ダンクシュート編集部

2020.03.31

復帰直後のジョーダンが、ニックス相手に55得点を叩き出した伝説のパフォーマンスは“ダブル・ニッケル”と呼ばれている。(C)Getty Images

復帰直後のジョーダンが、ニックス相手に55得点を叩き出した伝説のパフォーマンスは“ダブル・ニッケル”と呼ばれている。(C)Getty Images

 1995年3月28日(日本時間29日、日付は以下同)、1度目の引退からカムバックしたマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)は、復帰5試合目のニューヨーク・ニックス戦で55得点をマーク。バスケットボールの聖地マディソンスクエア・ガーデンで、圧巻のスコアリングショーを繰り広げた。

 この“ダブル・ニッケル”(5セント硬貨のことをニッケルと呼ぶことに由来)と呼ばれる超絶パフォーマンスから25年。当時の同僚だったカナダ出身のビル・ウェニントンが、『NBCスポーツ』の電話インタビューで“神様”との思い出を振り返った。

 ジョーダンの1学年下にあたるウェニントンは、1985年のドラフト1巡目16位指名でダラス・マーベリックスに入団。1990-91シーズンはサクラメント・キングス、1991-92シーズンから2年間はイタリアでプレーし、ジョーダンが引退した1993-94シーズンからブルズに加わった。

 ブルズは同年に55勝をあげながらも、イースタン・カンファレンス準決勝でニックスに力負け。翌シーズンも1991~93年の3連覇メンバーであるスコッティ・ピッペン、BJ・アームストロングが奮闘したが、絶対的エースの抜けた穴を埋め切れず、65試合を終えた段階で34勝31敗と、苦戦を強いられる日々が続いた。
 
 そんな状況下で、1995年3月19日にジョーダンが電撃復帰。以降は13勝4敗と一気に巻き返したが、ウェニントンはチームに生じた“変化”をこのように証言する。

「最初の3連覇や当時の練習がどんなものだったか聞いてはいたけど、彼(ジョーダン)が戻って、すぐにすべての話が本当だとわかった。一気にインテンシティの強度が上がったんだ。それまでも、スコッティ(ピッペン)が(ジョーダンから)伝承し、競争力が保たれていたから、私がそれまでプレーしてきたどのチームよりもすでに高かった。だけどマイケルが戻ってきて、それは2倍になったよ」

 ジョーダンも“野球仕様”となっていた身体のキレをすぐに取り戻すことはできなかったが、復帰戦から19得点→21得点→27得点と徐々に数字を上げ、4戦目となったアトランタ・ホークス戦では決勝ブザービーターを含む32得点。そして、続くニックス戦での大爆発に至った。ウェニントンは対戦相手が宿敵ニックスだったことが、ジョーダンの闘争心に火をつけたと述懐する。
 
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