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NBA

「まったく楽しめなかった」ジョーダンと共闘したジェリー・スタックハウスが明かす、神との“苦い思い出”

ダンクシュート編集部

2020.04.11

ジョーダンが中心の戦術に、当時キャリアのピークを迎えていたスタックハウス(左)は相当ストレスを感じていたようだ。(C)Getty Images

ジョーダンが中心の戦術に、当時キャリアのピークを迎えていたスタックハウス(左)は相当ストレスを感じていたようだ。(C)Getty Images

 バスケットボールの“神様”マイケル・ジョーダン――。圧倒的な実力を誇った男は自分に厳しい分、周囲への要求も激しく時にチームメイトにとって大きな“壁”となった。その影響力にアジャストしきれなかった選手も少なくなく、元オールスターのジェリー・スタックハウスもその1人だったようだ。『ESPN』のポッドキャスト番組『The Woj Pod』で、ワシントン・ウィザーズで共闘した2002-03シーズンを回顧している。

 1995年のドラフト1巡目3位指名でNBA入りしたスタックハウスは、3年目の1997-98シーズン途中にフィラデルフィア・セブンティシクサーズからデトロイト・ピストンズへ移籍。1999-2000シーズンから2年連続でオールスターに出場し、エースのグラント・ヒルが去った翌シーズンにはリーグ2位の平均29.8点を叩き出した。

 2002-03シーズン開幕前にワシントン・ウィザーズへトレードされたが、そこには現役ラストイヤーを迎えたジョーダンがいた。スタックハウスは当時28歳。選手としてピークを迎えていたなかで、複雑な思いを抱えながら戦っていたという。

「正直、ワシントンでプレーしたくなかった。トレードされる前、デトロイトで順調だと思っていたからね。当時、俺は引退を目前にしていた彼(ジョーダン)よりも優れた選手だと思っていたが、アイドルとの共存は難しかった」

 ジョーダンは全盛期から衰えは否めなかったが、それでも39歳にして全82試合に出場して平均20.0点、6.1リバウンド、3.8アシスト。「すべてはマイケル・ジョーダンを中心に回っていた」とスタックハウスは振り返る。
 
「俺は(ヘッドコーチだった)ダグ(コリンズ)が好きだけど、彼にとっては苦しかったシカゴ・ブルズ時代の埋め合わせするチャンスだったと思う。だから、当時のウィザーズはマイケルの要望をすべて受け入れていた。(開幕10試合で6勝4敗と)良いスタートを切ったけど、マイケルは俺が中心となるオフェンスを好んでいなかった。そして彼は、自分のポストでのアイソレーションを中心としたオフェンスを要求した。もちろんチームはそれを受け入れた。俺はそのシーズンをまったく楽しめなかったよ。思い描いていたマイケル・ジョーダン像と、彼への敬意が少しずつ崩れていってしまった」

 スタックハウスにとって不運だったのは、退団したピストンズがその2年後の2004年に優勝を果たし、トレード相手だったリチャード・ハミルトンがその中心だったことだ。

「ジョーダンにはリップ・ハミルトンがいた。ただ、ハミルトンとは上に行ける気がしなかったんだろう。だから、『スタックハウスを獲得しましょう。彼はよりタフで得点を取れる。ここに連れて来ましょう』という感じだった。俺はデトロイトが基盤を作り、2年後にチャンピオンシップを勝ち獲るのを手助けしてしまった。後味の悪さが残ったから、ワシントンを出てダラスに行った時はハッピーだったよ」

 2004年にダラス・マーベリックスへトレードされて以降はロールプレーヤーとなり、ミルウォーキー・バックス、マイアミ・ヒート、アトランタ・ホークス、ブルックリン・ネッツとジャーニーマン化。優勝を味わうことなく現役生活を終え、現在はヴァンダービルト大のヘッドコーチを務めるスタックハウスは、キャリアの“苦い思い出”を赤裸々に明かしていた。

構成●ダンクシュート編集部

【PHOTO】引退後も人気は健在!NBAの頂点に君臨するバスケットボールの“神様”マイケル・ジョーダン特集
 
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