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NBA

『ツインタワー』はかくして誕生した。黄金期を築いたダンカンとロビンソンの運命の巡り合わせ

秋山裕之

2020.04.28

ロビンソン(左)は大学時代のダンカン(右)との対戦を「一切緊張せず普段通りだった」と振り返る。(C)Getty Images

ロビンソン(左)は大学時代のダンカン(右)との対戦を「一切緊張せず普段通りだった」と振り返る。(C)Getty Images

 通算5度の優勝回数を誇るサンアントニオ・スパーズが、フランチャイズ史上初のチャンピオンとなったのは1998-99シーズンのこと。前年から結成した“提督”ことデイビッド・ロビンソンとティム・ダンカンの“ツインタワー”を中心に、守り勝つバスケットボールでリーグの頂点へと駆け上がった。

 ロビンソンは当時キャリア10年目、ダンカンはルーキーイヤーを終えたばかりの2年目。このシーズンからロビンソンはダンカンへファーストオプションを譲ったイメージがあるが、実際にダンカンがチームの主役となったのは、彼が新人だった1997-98シーズンの後半からだった。

 同年の最終スタッツを見てみると、ダンカンの平均21.1点に対してロビンソンは平均21.6点とほぼ同等。しかしオールスター以降ではダンカンが平均24.3点でロビンソンの平均19.0点)を大きく上回っており、迎えたプレーオフでもダンカンがエースの役割を担っていた。

 スパーズはダンカンをオフェンスの柱、そしてロビンソンが守護神に据え、リーグ屈指のチームを構築。両選手が揃ってプレーした6シーズンの間に、2度の優勝を成し遂げた。
 
 そして今年、文句なしでバスケットボール殿堂入りすることが決定したダンカン。そんな元相棒について、ロビンソンは4月26日(日本時間27日、日付は以下同)に出演した『SiriusXm NBA Radio』にて、ウェイクフォレスト大に在学中のダンカンと初めて対戦した時のことをこのように振り返っている。

「私がこれまで見てきたなかで、彼は最もスムースにプレーする選手なんだ。しかもそれを簡単にやってのける。もし私がカレッジでプレーしている時、NBAでトップ3に入るセンターとプレーしなきゃならない状況になったら、(緊張で)ちょっとガタガタしてしまうかもしれない。でも彼がそうなることはなかったよ。普段通りに自分のゲームをしていたんだ。信じられないレベルの高さでね」

 ロビンソンは1999年に初優勝を経験するまで“大舞台に弱い”“プレーオフで活躍できない”“ソフトだ”などと批判を浴びることもあった。しかし216cm・106kgの体格にファーストブレイクの先陣を切れるほどの走力を備え、プレーメークまでこなせる多彩なスキルを持った、歴代屈指のビッグマンだったことは間違いない。
 
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