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NBA

リトアニアが生んだ伝説のビッグマン、アルビダス・サボニスは今…。「母国の顔」、「父」として奮闘する日々

小川由紀子

2020.04.27

NBA入りした頃には全盛期を過ぎていたサボニスだが、221cmの長身に広いシュートレンジ、卓越したパスセンスを武器に活躍。現代ビッグマンの先駆けとも言える存在だった。(C)Getty Images

NBA入りした頃には全盛期を過ぎていたサボニスだが、221cmの長身に広いシュートレンジ、卓越したパスセンスを武器に活躍。現代ビッグマンの先駆けとも言える存在だった。(C)Getty Images

 世界一の競技人口を誇るバスケットボール。その最高峰リーグであるNBAには世界中から優れたプレーヤーが集結し、特に2000年代以降は外国籍選手の数も飛躍的に増加した。では、NBAで活躍した欧州プレーヤーたちはその後、どのようなキャリアをたどっているのか。第一線を退いた彼らの今をシリーズで紹介しよう。

 1990年代後半から2000年代前半にかけてポートランド・トレイルブレイザーズで活躍したリトアニアのビッグマン、アルビダス・サボニス。若いファンにとっては、現在インディアナ・ペイサーズに所属し、ゴンザガ大で八村塁の先輩にあたるドマンタス・サボニスの父、という印象が強いかもしれないが、彼は今でもなお、欧州最高のNBAプレーヤーの1人に挙げられる名プレーヤーだった。

 サボニスは1986年のドラフトでブレイザーズから1巡目24位で指名された。当時は生まれ故郷リトアニアのカウナスにある強豪ジャルギリスでプレーしていたが、その頃リトアニアはまだソビエト連邦の支配下にあるなど、政治的な事情もあってすぐにアメリカに行くことは叶わず、実際に入団したのは95-96シーズン、峠を越えた30歳の時だった。
 
 1年目から平均14.5点、8.1リバウンドをマークしてオールルーキー1stチームにも選出されたが、「ルーキーといっても、もうその時は31歳だったから私は“おっさんルーキー”だったわけだ。だから、周りもフレッシュマンという扱いではなかったし、すでにある程度のキャリアは積んでいたから、それなりの敬意は示されていたように思う。その点で苦労した記憶はないんだ」。以前、『ダンクシュート』誌に掲載したインタビューで、サボニスはそう当時を振り返っている。

 サボニスの場合、もっと若くからNBAに行っていたらさらに活躍できていただろう、という声をよく聞くが、彼自身はNBAで成功するための条件に、「まずは自国で名を挙げてそれなりの評価を勝ち取っておくこと。もうひとつは、自分という選手を世間に広く知らしめておくこと」だと語っている。

 心身ともに燃え尽きて、2001-02シーズンにいったんNBAを離れて故郷に戻ったが、翌シーズンに再びブレイザーズに復帰。サボニスが入団した1995-96シーズンから2002-03シーズンまで、チームはプレーオフ進出を1度も逃すことなく、99、2000年にはカンファレンス・ファイナルまで到達している。
 
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