シカゴ・ブルズが最後に優勝した1997-98シーズンの密着ドキュメンタリーシリーズ『ザ・ラストダンス』(全10話)の放映が始まり、“神様”マイケル・ジョーダンが今、改めて脚光を浴びている。20世紀最高のスーパースターと謳われた「背番号23」のキャリアを、前後編で振り返る。
■“神様”と称されたNBA史上最高のプレーヤー
史上最高のバスケットボール選手、マイケル・ジョーダン。およそNBAに興味がある人で、彼の名を知らない者はいないだろう。その偉大なキャリアはさまざまな書籍や映像などに納められ、現役時代のプレーを見ていない人でも把握することができる。
今回は、ジョーダンの経歴を振り返る上であまり語られない2つの出来事に焦点を当ててみたい。これほどの選手が、1984年のドラフトで3位指名にとどまった理由。もうひとつは一時的にバスケットから離れ、野球選手への転向を試みた時期のことである。
■大学で全米の頂点に立ち、瞬く間にスターダムを駆け上がる
ノースカロライナ大時代から、ジョーダンはスーパースターの素質を垣間見せていた。1982年のNCAAトーナメント決勝(対ジョージタウン大)では、1年生にして優勝を決める逆転シュートを沈めている。83、84年に2年連続でファイナル4進出を逃し、勝者としてカレッジを去りたい気持ちがあったジョーダンは大学に残ることも考えたが、熟考の末、84年のNBAドラフトのアーリーエントリーを宣言した。
この年の一番の目玉選手はジョーダンではなく、ヒューストン大のアキーム・オラジュワンだった。高さ、速さ、巧さを兼ね備えた傑出したセンターで、しかも全体1位指名権を得ていたのがロケッツとあって、地元大学のスターを指名するのは100%確実だった。
2位指名権を持っていたのはポートランド・トレイルブレイザーズ。純粋に実力だけで判断すればジョーダンを指名するはずだった。しかし、さまざまな事情がそれを阻むことになる。
まず、ジョーダンのポジションであるシューティングガードには、チームのトップスコアラーであるジム・パクソンがおり、控えである前年の1巡目指名選手クライド・ドレクスラーも着実に力をつけていた。ブレイザーズにとって補強が必要なのは、スウィングマンではなくセンターだった。パシフィック地区(当時)のライバル、ロサンゼルス・レイカーズのカリーム・アブドゥル・ジャバーに対抗できるビッグマンが喉から手が出るほど欲しかったのだ。
■“神様”と称されたNBA史上最高のプレーヤー
史上最高のバスケットボール選手、マイケル・ジョーダン。およそNBAに興味がある人で、彼の名を知らない者はいないだろう。その偉大なキャリアはさまざまな書籍や映像などに納められ、現役時代のプレーを見ていない人でも把握することができる。
今回は、ジョーダンの経歴を振り返る上であまり語られない2つの出来事に焦点を当ててみたい。これほどの選手が、1984年のドラフトで3位指名にとどまった理由。もうひとつは一時的にバスケットから離れ、野球選手への転向を試みた時期のことである。
■大学で全米の頂点に立ち、瞬く間にスターダムを駆け上がる
ノースカロライナ大時代から、ジョーダンはスーパースターの素質を垣間見せていた。1982年のNCAAトーナメント決勝(対ジョージタウン大)では、1年生にして優勝を決める逆転シュートを沈めている。83、84年に2年連続でファイナル4進出を逃し、勝者としてカレッジを去りたい気持ちがあったジョーダンは大学に残ることも考えたが、熟考の末、84年のNBAドラフトのアーリーエントリーを宣言した。
この年の一番の目玉選手はジョーダンではなく、ヒューストン大のアキーム・オラジュワンだった。高さ、速さ、巧さを兼ね備えた傑出したセンターで、しかも全体1位指名権を得ていたのがロケッツとあって、地元大学のスターを指名するのは100%確実だった。
2位指名権を持っていたのはポートランド・トレイルブレイザーズ。純粋に実力だけで判断すればジョーダンを指名するはずだった。しかし、さまざまな事情がそれを阻むことになる。
まず、ジョーダンのポジションであるシューティングガードには、チームのトップスコアラーであるジム・パクソンがおり、控えである前年の1巡目指名選手クライド・ドレクスラーも着実に力をつけていた。ブレイザーズにとって補強が必要なのは、スウィングマンではなくセンターだった。パシフィック地区(当時)のライバル、ロサンゼルス・レイカーズのカリーム・アブドゥル・ジャバーに対抗できるビッグマンが喉から手が出るほど欲しかったのだ。