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NBA

“神様”に対抗心を燃やしたケンドール・ギルが振り返るブルズの「勝利の方程式」

ダンクシュート編集部

2020.05.10

ギルは「“対マイケル”のディフェンスは成功した」と語ったが、トライアングル・オフェンスは対応が難しく、この戦術がジョーダンを勝者に押し上げたという。(C)Getty Images

ギルは「“対マイケル”のディフェンスは成功した」と語ったが、トライアングル・オフェンスは対応が難しく、この戦術がジョーダンを勝者に押し上げたという。(C)Getty Images

 マイケル・ジョーダンと言えば、誰を思い浮かべるだろう。“後継者枠”であればペニー・ハーダウェイ、コビー・ブライアントやレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)、ライバルであればクライド・ドレクスラー、レジー・ミラーやジョン・スタークスといったところが代表格か。

 他にも“神様”ジョーダンに対抗心を燃やした男がいた。抜群の身体能力で一時は“ジョーダン2世”と言われたケンドール・ギルだ。“フューチャー・ブルズ”と呼ばれたシャーロット・ホーネッツ在籍時の1992年4月の試合では、ジョーダン相手に32得点をあげたこともあった。キャリア通算27回の直接対戦で勝利は7回のみだったが、ジョーダンへの徹底マークを任されたギルは、こと「1オン1」に関しては負けていなかったと考えているようだ。『Illini Inquirer』で当時を振り返っている。

「私はマイケルの勢いを止められる唯一の選手だと思っていたから、マッチアップを楽しんだ。彼はとにかく上手かったから、本当の意味では止めることができなかった。でもマイケルは私より1インチ(2.54cm)大きいだけで、ほぼ同じサイズ(ギルが196cm、ジョーダンが198cm)だった。私の“対マイケル”のディフェンスは成功した。ある意味では、本来のマイケルじゃなかったかもしれない。私が心配していたのはトライアングル・オフェンスのほうで、それがマイケルを勝者の立場に押し上げた」
 
 ギルは1998-99シーズンにスティール王に輝くなど、身体能力を生かした守備に定評があった。1980年代後半にデトロイト・ピストンズが“ジョーダン・ルール”と呼ばれた徹底マークで個人技を封じ込めたように、かつてはジョーダンの圧倒的な攻撃力とチームの勝利は必ずしもリンクしなかった。しかし、2度の3連覇を呼ぶ「トライアングル・オフェンス」の導入がジョーダンを変えたとギルは言う。

「マイケルの運動能力、競争心、勝利への渇望、スキルの高さが、彼に勝つのを一層難しくした。もし、彼が他のタイプのオフェンスをしていたら、私は問題なかっただろう。トライアングル・オフェンスでは、自分たちが何かをする前に、相手が何をするのか見るのを待っているんだ。だから対応するのが難しい。相手はトライアングルに対して、ゲームプランを立てられないからね」

 ホーネッツ、シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)、ニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)でブルズに立ち向かい、晩年の2003-04シーズンにはブルズの一員として1シーズン戦ったギル。ジョーダンを筆頭に相手を寄せ付けなかった当時のブルズには、ある“勝利の方程式”があったという。
 

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