人に歴史あり。バスケにスーパースターあり。スーパースターにシグネチャーモデルあり。シグネチャーモデルにBOXあり!
ドリームチームIIIのシグネチャーモデル第4弾、本編20箱目は、デビット・ロビンソンが着用したオリンピックモデル「NIKE AIR MODIFY FORCE MID」のお話です。
海軍兵学校出身のロビンソンは1989年にデビュー。“提督”の愛称で呼ばれたセンターは、身長216cmながら身体能力が高く、シュート力も折り紙つき。走力やアシスト力も備えており、「ポイントセンター」の走り的な存在でした。キャリア6年目の1994-95シーズンにはサンアントニオ・スパーズをリーグトップの62勝20敗に導き、シーズンMVPを獲得し、翌シーズンにはオールNBAファーストチーム入りを果たしました。
1996年のアトランタオリンピックには、アキーム・オラジュワンやシャキール・オニールといったスーパーセンターに加え、ロビンソンも88年のソウル、92年のバルセロに続いて3大会連続で選出されました。
8戦中3試合で先発を務めたロビンソンは、チャールズ・バークレーに次ぐチーム2位の平均12点、決勝のユーゴスラビア戦ではゲームハイの28得点、7リバウンドを叩き出し、金メダル獲得に大きく貢献しました。
ロビンソンに用意されたシューズは、以前紹介したジョン・ストックトンの「AIR ADJUST FORCE」 の廉価版に当たる「AIR MODIFY FORCE MID」です。ソールには“Visible Air(Heel)”を装着。FORCE系シューズとしてはAirが少なめのモデルでした。
「AIR MODIFY FORCE MID」にはストックトンのモデルと同様、“FIT WRAP” が装着されています。
こちらの“FIT WRAP”には紺地に、星条旗がモチーフのマークが刺繍され、アメリカ代表、そして五輪モデルの証が刻まれています。このモデルもパーツを取り外すと一般的なバッシュに早変わり。廉価版ゆえに低価格で、「AIR ADJUST FORCE」以上に“部活で下級生が着用しやすい”モデルに仕上がっています。
“FIT WRAP”部分の色変えによるチーム対応ができるシステムも流用し、さらなるコスト削減につなげる事ができたと思います。
BOXは他のシューズ同様にNIKEのデフォルト。BOXは華美な装飾をすることなく、最低限の素材でブランド全体のデザイン統一をしています。ダンボールのままの地にブラックのスウッシュ。側面の上部はオレンジ。下はブラックで統一です。
カラーウェイ表記には「AIR ADJUST FORCE」同様に“WHT/MDNT N-V RD(STRAP=CLG NV)とあり、“FIT WRAP”部分の色指定がしてあります。
オリンピック後の96―97シーズン、ロビンソンはケガで6試合の出場に終わり、チームも下位に低迷。しかし、それによりスパーズは97年のドラフトで1位指名権をゲットし、大学No.1プレーヤーのティム・ダンカンを獲得します。
216cmのロビンソンと211cmのダンカンで強力な“ツインタワー”を形成したスパーズは、99年に悲願の初優勝。ロビンソンは主役の座をダンカンに譲りましたが、2003年にもうひとつリングを加えて有終の美を飾りました。ただ彼にとってのキャリアのピークは、間違いなくこの「AIR MODIFY FORCE MID」を着用していた1990年代中盤だったと言えるでしょう。
文●西塚克之
【著者プロフィール】
西塚“DUKA”克之/日本相撲協会公式キャラクター「ハッキヨイ!せきトリくん」の作者として知られる人気イラストレーター。入手困難なグッズやバッシュを多数所有する収集家でもあり、インスタグラム(@dukas_cafe)では、自身のシューズコレクションを公開中。ダンクシュートでは名作シューズ列伝『SOLE&SOUL』を連載している。
【PHOTO】シンプルなデザインからキャラクターモデルまで!お洒落なNBAプレーヤーたちのシューズ特集!
ドリームチームIIIのシグネチャーモデル第4弾、本編20箱目は、デビット・ロビンソンが着用したオリンピックモデル「NIKE AIR MODIFY FORCE MID」のお話です。
海軍兵学校出身のロビンソンは1989年にデビュー。“提督”の愛称で呼ばれたセンターは、身長216cmながら身体能力が高く、シュート力も折り紙つき。走力やアシスト力も備えており、「ポイントセンター」の走り的な存在でした。キャリア6年目の1994-95シーズンにはサンアントニオ・スパーズをリーグトップの62勝20敗に導き、シーズンMVPを獲得し、翌シーズンにはオールNBAファーストチーム入りを果たしました。
1996年のアトランタオリンピックには、アキーム・オラジュワンやシャキール・オニールといったスーパーセンターに加え、ロビンソンも88年のソウル、92年のバルセロに続いて3大会連続で選出されました。
8戦中3試合で先発を務めたロビンソンは、チャールズ・バークレーに次ぐチーム2位の平均12点、決勝のユーゴスラビア戦ではゲームハイの28得点、7リバウンドを叩き出し、金メダル獲得に大きく貢献しました。
ロビンソンに用意されたシューズは、以前紹介したジョン・ストックトンの「AIR ADJUST FORCE」 の廉価版に当たる「AIR MODIFY FORCE MID」です。ソールには“Visible Air(Heel)”を装着。FORCE系シューズとしてはAirが少なめのモデルでした。
「AIR MODIFY FORCE MID」にはストックトンのモデルと同様、“FIT WRAP” が装着されています。
こちらの“FIT WRAP”には紺地に、星条旗がモチーフのマークが刺繍され、アメリカ代表、そして五輪モデルの証が刻まれています。このモデルもパーツを取り外すと一般的なバッシュに早変わり。廉価版ゆえに低価格で、「AIR ADJUST FORCE」以上に“部活で下級生が着用しやすい”モデルに仕上がっています。
“FIT WRAP”部分の色変えによるチーム対応ができるシステムも流用し、さらなるコスト削減につなげる事ができたと思います。
BOXは他のシューズ同様にNIKEのデフォルト。BOXは華美な装飾をすることなく、最低限の素材でブランド全体のデザイン統一をしています。ダンボールのままの地にブラックのスウッシュ。側面の上部はオレンジ。下はブラックで統一です。
カラーウェイ表記には「AIR ADJUST FORCE」同様に“WHT/MDNT N-V RD(STRAP=CLG NV)とあり、“FIT WRAP”部分の色指定がしてあります。
オリンピック後の96―97シーズン、ロビンソンはケガで6試合の出場に終わり、チームも下位に低迷。しかし、それによりスパーズは97年のドラフトで1位指名権をゲットし、大学No.1プレーヤーのティム・ダンカンを獲得します。
216cmのロビンソンと211cmのダンカンで強力な“ツインタワー”を形成したスパーズは、99年に悲願の初優勝。ロビンソンは主役の座をダンカンに譲りましたが、2003年にもうひとつリングを加えて有終の美を飾りました。ただ彼にとってのキャリアのピークは、間違いなくこの「AIR MODIFY FORCE MID」を着用していた1990年代中盤だったと言えるでしょう。
文●西塚克之
【著者プロフィール】
西塚“DUKA”克之/日本相撲協会公式キャラクター「ハッキヨイ!せきトリくん」の作者として知られる人気イラストレーター。入手困難なグッズやバッシュを多数所有する収集家でもあり、インスタグラム(@dukas_cafe)では、自身のシューズコレクションを公開中。ダンクシュートでは名作シューズ列伝『SOLE&SOUL』を連載している。
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