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すべてに背を向けた孤高のスーパースター、カリーム・アブドゥル・ジャバ―が抱えていた葛藤【NBAレジェンド列伝・前編】

出野哲也

2020.08.18

カリーム・アブドゥル・ジャバ―は、イスラム教に改宗した際に与えられた名前。両親から授かった名はルー・アルシンダーだ。(C)Getty Images

有り余る才能でNCAA、NBAを制覇したアルシンダー

 カリーム・アブドゥル・ジャバー……まるで呪文のような、魅惑的な響きを持つこの名前は、史上最高のセンターの1人である選手が両親から授かった名前ではない。抜群の才能と明晰な頭脳、極度に高い自尊心を持ち合わせていたルー・アルシンダーが、イスラムの教えに目覚めた時に与えられた新しい名前である。
 
 両親も長身だったアルシンダーは、幼少時から抜きん出て背が高かった。小学生の頃からフックシュートを打ち始め、中学生になるとダンクもできるようになった。ニューヨークのパワー・メモリアル高では驚異的な71連勝を記録し、ボルティモア・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)のヘッドコーチ、ジーン・シューは「この高校生を手に入れるためならなら、ドラフト1巡目指名権をふたつ手放しても構わない」と言い切った。

 数々の有力大学による熾烈な勧誘合戦の末に、アルシンダーはUCLAに入学。当時1年生は公式戦に出場できなかったが、彼の率いる1年生チームは前年に全米王者となったレギュラーチームを破った。公式戦デビューでは学校記録を更新する56点をあげるなど、その実力は圧倒的だった。

 218㎝の身長が大きな武器だったのはもちろんだが、彼を無敵の選手としたのはフックシュートだった。NCAAが1967-68シーズンから試合中のダンクを禁止したため、アルシンダーはフックシュートに磨きをかけ、芸術の領域まで完成度を高める。長い腕を一杯に伸ばし、最高の打点からシュートを放たれては、対戦相手はただ外れるのを祈るしかなかった。この必殺技〝スカイフック″を駆使して、アルシンダーはコートを支配する。UCLAは67年から3年連続でNCAA選手権を制覇し、公式戦3年間の戦績は88勝2敗。いずれの年もファイナル4最優秀選手となったアルシンダーには、文字通り全米の注目が集まっていた。
 
 しかしながら、そうした状況は心地良いものではなかった。性格的にも注目されることを好まなかったし、傑出した黒人であることが、凡庸な白人たちからの妬みと憎しみを買った。アルシンダーは、自身も白人の血が流れていたにもかかわらず、白人たちへの反感を募らせる。68年にオリンピック・チームへの参加を拒絶したことや、同年にマルコムXの伝記に触発され、イスラム教へ改宗したのも、こうした複雑な感情が根底にあった。

 69年のNBAドラフトではミルウォーキー・バックスに1位指名され、平均28.8点(2位)、14.5リバウンド(3位)と期待通りの活躍。文句なしの新人王に選ばれ、バックスも前年の27勝から56勝へ急上昇した。続く70―71シーズンは、シンシナティ・ロイヤルズ(現サクラメント・キングス)からオスカー・ロバートソンが加入。〝ビッグO″のパスを受けてアルシンダーは得点を稼ぎまくり、31.7点で得点王とMVPに輝く。チームも66勝し、ファイナルではブレッツに4連勝。アルシンダーはファイナルMVPに選ばれ、プロでも2年目にして易々と頂点に立った。