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NBA

「MJを超える可能性があると思っていた」“ネクスト・ジョーダン”と呼ばれたグラント・ヒルが現役時代を回想

ダンクシュート編集部

2020.09.09

ヒルは1年目からオールスターに出場するなど、目覚ましい活躍を披露。ケガさえなければ“史上最高の選手論”にも名前が挙がっていたかもしれない。(C)Getty Images

ヒルは1年目からオールスターに出場するなど、目覚ましい活躍を披露。ケガさえなければ“史上最高の選手論”にも名前が挙がっていたかもしれない。(C)Getty Images

 グラント・ヒルは元NFL選手の父親と、のちに大統領夫人となるヒラリー・クリントンのルームメイトだった母親の間に生まれたサラブレッドで、“ネクスト・ジョーダン”として期待された選手の1人だった。度重なるケガで輝きを失い、神様の後継者となることはなかったが、自身は万全の状態であれば“ジョーダン超え”も可能だったと考えていたという。

 1994年のドラフト1巡目3位指名でデトロイト・ピストンズ入りしたヒルは、1年目から平均19.9点、6.4リバウンド、5.0アシスト、1.77スティールをあげて新人王に輝いた。翌シーズンからは5年連続で平均20点超え、1999-2000シーズンにはキャリアハイの平均25.8点をマーク。稀代のオールラウンダーとしてリーグの顔を担った。

 しかし、7年総額9300万ドルでオーランド・マジックへ移籍した2000年に足首を骨折。以降は度重なる足首の故障に苦しめられ、思うようにコートに立てず徐々に輝きを失っていく。2007年に加入したフェニックス・サンズではロールプレイヤーとして5年間奮闘したが、2012-13シーズンを最後に、現役を引退した。

 2018年に殿堂入りを果たしたヒルだが、ケガさえなければ、ジョーダンやコビー・ブライアント、レブロン・ジェームズとともに歴代最強プレーヤーの対象にも挙がっていたかもしれない。
 
『The Carlos Watson Show』にリモート出演したヒルは、司会のカルロス・ワトソン氏から「ケガをしていなかったら、ジョーダンよりも良い選手になれたと思う?」と尋ねられると、少し笑みを浮かべながら「もちろん、私の考えで答えはイエスだ」と答えた。

「MJを超える可能性があると思っていた。私はNBAに入ってすぐに成功を収めた。たしかに、マイケルが引退して、多くのことが私に押し寄せてきたから、その座が“空席”だったというのはあるけどね」

 実際、1993年にジョーダンが最初の引退を発表した後、彼の“後継者探し”が一気に加速した。その後、1995年3月にジョーダンが電撃復帰を果たし、再びNBAを牽引する存在に舞い戻ったが、ヒルの中には“ケガさえなければ違う結果になっていた”という思いは少なからずあるようだ。もっとも、キャリアを振り返る上では後悔はないという。

「NBA入りから6シーズンを経て、私はケガをした。正直、失望したよ。でも、コートに戻って戦えると希望を持っていた。(2000~04年の)4年間は暗闇を彷徨っていたし、メンタルやフィジカル面の戦いもあった。でも、(サンズで)自分のスタイルを一から構築し直した。(足の)傷跡を恥ずかしく思い、バツが悪いこともあったけど、今は誇りに思っている。自分の履歴書において、とてつもない量の困難を乗り越えた証だし、最終的に40歳までプレーできたことに感謝している」

 ヒルは現役時代同様、真摯に自らのキャリアを受け止め、思いを馳せていた。

構成●ダンクシュート編集部

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