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NBA

「ヨーロッパ人PGじゃ絶対優勝できない」ダンカンからの痛烈な発言が、キャリア初期のパーカーのモチベーションに

ダンクシュート編集部

2020.11.30

ダンカン(右)からの厳しい発言を含め、自身の低評価を覆すことがパーカー(左)のモチベーションになったという。(C)Getty Images

ダンカン(右)からの厳しい発言を含め、自身の低評価を覆すことがパーカー(左)のモチベーションになったという。(C)Getty Images

 ティム・ダンカン、マヌ・ジノビリ、グレッグ・ポポビッチHC(ヘッドコーチ)らとともにサンアントニオ・スパーズを4度のリーグ制覇に導き、2018-19シーズン限りで現役を引退したフランス出身のレジェンドPG(ポイントガード)、トニー・パーカー。彼の自叙伝『Beyond All My Dreams』が11月17日(日本時間18日、日付は以下同)に発売されたが、そのなかでパーカーはキャリア初期に苦労したこと、そしてダンカンから浴びせられた厳しい発言について言及している。

 2001年のドラフトでは1巡目28位で指名されたように、NBA入り当初のパーカーは“フランス出身の無名PG”に過ぎず、決して評価が高かったわけではなかった。そのため、スパーズで自身の地位を確立すべく、ポポビッチHCだけでなく、リーグを代表するトッププレーヤーだったダンカンにも実力を証明する必要があった。そして、自身に下された低評価が間違っていることを証明することが、キャリア初期のパーカーのモチベーションになっていたという。
 
「私にとって最も重要だったのは、ポップ(ポポビッチHCの愛称)とダンカンに“私がNBAでプレーするにふさわしい選手である”と証明することだった。ダンカンに疑われていたのはわかっていたよ。スパーズに私がドラフト指名された時、彼は『なんでヨーロッパ人PGなんて指名したんだ?ヨーロッパ人PGとでは絶対に優勝できないぞ』って言っていたからね」

 実際にキャリア1年目のパーカーに対し、ダンカンは口も利かず、とりわけ厳しく接していたのは有名な話だ。しかしたゆまぬ努力で実力を認めさせ、“ビッグ3”としてダンカンと肩を並べるまでのスターに成長。ともに4度のチャンピオンリングを勝ち取り、コート内外で“盟友”と呼べる最高の関係を築き上げた。

 4度のオールNBAチーム入り、6度のオールスター出場、2007年のファイナルMVP受賞など、パーカーが成し遂げた実績は枚挙に暇がない。“ヨーロッパ人PGとでは優勝できない”と言い放ったダンカンにとっては、最高に嬉しい誤算となったことだろう。

構成●ダンクシュート編集部

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