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「個人成績のためにプレーしない」。優勝に届かなかった“戦士”マローンがNBAに残した財産【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.09.16

1997、98年に2年連続でファイナルに勝ち進んだが、ジョーダン率いるブルズの前に敗れ、優勝はならなかった。(C)Getty Images

 最大のチャンスが訪れたのは97年だった。この年のマローンは、5年ぶりの高水準となる平均27.4点。球団新記録かつウエスタン1位の64勝の原動力となり、MVPを受賞した。プレーオフでも4度目の挑戦でようやくカンファレンス決勝を突破し、念願のファイナル進出を果たした。

 だが、シカゴ・ブルズとのファイナル第1戦は痛恨の試合となる。残りわずか、同点の場面でフリースローラインに立ったマローンに、スコッティ・ピッペンが「日曜日は郵便配達は休みだぜ」と耳元で囁いた。この言葉に動揺したのか、マローンはフリースローを2投とも外す。

 その直後ジョーダンに決勝シュートを沈められ、ジャズは大事な初戦を落とした。この失態により、マローンには「勝負所で頼りにならない選手」とのイメージがついてしまった。第3戦では37点をあげ勝利に貢献したが、6戦目でもフリースローを15本中8本も落とし、4点差で敗れたジャズは優勝を逃した。

 続く98年も再びファイナルでブルズに敗退。ジョーダンが引退した98-99シーズンはリーグ最高勝率を記録し、マローンも2度目のMVPとなり、自身の持つ最高齢受賞記録を塗り替えたが、プレーオフではカンファレンス準決勝で敗退した。その後、ジャズに優勝のチャンスが巡ってくることは二度となかった。
 
 2002-03シーズン限りでストックトンが引退すると、契約切れとなったマローンもレイカーズに移籍。金色と紫のユニフォームには、それまで背負っていた32番ではなく、新たに背番号11が縫い付けられていた。シャキール・オニール、コビー・ブライアント、それに同じく新加入のゲイリー・ペイトンと共に、キャリアの最後を優勝で締めくくるつもりで、ウエスタンを制したところまでは青写真通りだった。

 ところが、ファイナルでは格下のデトロイト・ピストンズによもやの敗退。マローン自身、4試合で平均5点と攻撃面ではまったく貢献できなかった。40歳となった彼には、これ以上現役を続ける気力が湧かなかった。

 05年2月13日に引退を発表。17年連続で平均20点以上をあげ、あと1459点と迫っていたカリーム・アブドゥル・ジャバ―の持つ通算得点記録にも届かなかった。それでも、彼には執着はなかった。

「個人記録のためにはプレーしないと決めていた。心残りなのは、優勝できなかったことだけさ」
 
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