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憧れのジョーダンとの対決をノビツキーが回顧!「ものすごく興奮していた」<DUNKSHOOT>

秋山裕之

2022.03.11

ブルズ時代のジョーダンとは対戦が実現しなかったノビツキーだが、01年にウィザーズで復帰したことで相まみえることとなった。(C)Getty Images

 今年1月、背番号41がダラス・マーベリックスの永久欠番となったダーク・ノビツキーは、21年間をひとつのフランチャイズでプレーし続けたレジェンドである。

 213cm・111kgという体格ながら、ガード選手のようにアウトサイドからも難なく決めるシュート力を持ち、キャリアを重ねていくうえで習得した"ワンレッグ(片足)・フェイダウェイジャンパー"を武器にショットの雨を降らせた。

 2006-07シーズンにシーズンMVP、10-11シーズンにはマブズを球団史上初のNBAチャンピオンへ導き、ファイナルMVPを獲得。オールスター出場14回、オールNBAチーム選出12回に加え、昨年10月にはリーグの75周年記念チームにも選ばれている。通算3万1560得点はNBA歴代6位、外国籍選手としては歴代最多であり、来年にはバスケットボール殿堂入りが確実視されている。
 
 そんなノビツキーにとって、少年時代のアイドルはシカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンだった。現地時間3月10日(日本時間11日、日付は以下同)にYouTubeへ公開された『Fox Sports Radio』の「DAN PATRICK SHOW」へ出演したノビツキーは、ジョーダンが1999年に2度目の引退をした当時を振り返り、想いを語った。

「ユタで行なわれた(NBAファイナル)第6戦を最後に、MJは引退したんだ。私はその年の夏にドラフトされて、そこから(リーグは)ロックアウトに入った。私は当時、自分のヒーローでアイドルでもある彼と対決することを考えていたものさ」

 98年のNBAファイナル第6戦。ジョーダンはブルズを6度目の優勝へと導く決勝ジャンパー、いわゆる"The Shot"を突き刺し、ユタ・ジャズを4勝2敗で下して6度目のファイナルMVPを獲得。

 一方、同年のドラフト1巡目9位でミルウォーキー・バックスから指名されたノビツキーは、ドラフト当日にトレードでマブズへ移籍するも、リーグは労使交渉のもつれからロックアウトへ突入。98-99シーズンの開幕は通常の10/11月から2月まで遅れ、50試合の短縮シーズンとなった。
 
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一度は実現不可能となったアイドルとの対決だが、2001年に転機が