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NBA

“ポスト・ジョーダン”からいつしか“過去の人”へ。故障にすべてを奪い去られたペニーのキャリア【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.06.20

“ポスト・ジョーダン”として期待されていたペニー。しかしヒザの故障が彼からすべてを奪い去った。(C)Getty Images

“ポスト・ジョーダン”として期待されていたペニー。しかしヒザの故障が彼からすべてを奪い去った。(C)Getty Images

■ジョーダンに代わる広告塔からいつしか“過去の人”へ

 1995-96シーズンのオーランド・マジックは、大黒柱だったシャキール・オニールが開幕から故障のため6週間にわたって戦列を離脱。これによって苦戦が予想されたチームを救ったのは、アンファニー・ハーダウェイの八面六臂の活躍だった。平均26.4点をあげ、シャック不在の間を17勝5敗で乗り切ると「もはやマジックは、シャックではなくペニー(ハーダウェイの愛称)のチームだ」との声もあちこちで上がった。

 選手としての評価と同時に、人気面もうなぎ上りになった。ナイキはジョーダンに代わる会社の顔としてハーダウェイをプッシュし、シグネチャーモデル『エア・ペニー』を制作。ハーダウェイと人形の“リトル・ペニー”(声はクリス・ロックが担当)が共演するCMはシリーズ化され、スパイク・リーやタイラ・バンクスらも出演して大評判となった。

 一方で、エースとの間には微妙な空気が流れるようになった。常にお山の大将でいなければ気が済まないシャックにとって、自分がいない間もチームが好調だったことや、ハーダウェイ人気の急上昇は面白いはずがなかった。
 
 ハーダウェイにとっても、そんなシャックが目障りに映り始めていた。公の場で「シャックはムービースターになりたいらしいけど、銀幕の美形スターとは程遠いね」と冷笑すれば、「コートを離れたらよく一緒にいるかって? “よく”なんてもんじゃ決してないね」と皮肉っぽく語ったりした。まだチームメイトだった時点でこのような発言をするほど、2人の関係は冷えていた。

 1996年、FA(フリーエージェント)となったシャックはロサンゼルス・レイカーズへ移籍。その年のアトランタ五輪代表“ドリームチームⅡ”での共演を最後に、2人は完全に袂を分かった。カリーム・アブドゥル・ジャバーとマジック・ジョンソン(ともに元レイカーズ)を超える最強コンビになるのではとさえ言われた“シャック&ペニー”は、たった3年で解体してしまったのである。

「そりゃ、彼がいたほうが楽に決まってる。でも去年、シャックがいない間も僕たちはいい戦いができた。今年も同じことができない理由はないさ」
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