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NBA

“ポスト・ジョーダン”からいつしか“過去の人”へ。故障にすべてを奪い去られたペニーのキャリア【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.06.20

 ハーダウェイは強気に語ったが、そんな楽観的な見方を裏切ったのは、ハーダウェイ自身の身体だった。日本で開幕戦を行なった直後に、痛めていた左ヒザを手術。これが原因となって持ち味のスピードと瞬発力が失われてしまい、成績は下降線を描き始めた。

 ヒザの痛みは何度もぶり返し、そのたびにプレーの切れ味は失われた。思うようなプレーができない苛立ちもあったのか、自分本位な行動や発言も目立ち始める。1997年にブライアン・ヒルがHC(ヘッドコーチ)を解任された際には、その首謀者としてメディアやファンから非難された。

 チームから完全に浮き上がったハーダウェイは、1998-99シーズン終了後、とうとうマジックから放出される。移籍先のフェニックス・サンズでも、時折全盛期を思わせるようなプレーも見せたが長続きせず、いつしか過去の人となってしまった。

 2003-04シーズンから3年間はニューヨーク・ニックスに在籍。1年間のブランクを経て、2007-08シーズンはマイアミ・ヒートと契約を結んだ。
 
 ヒートへ移籍していたシャックとのコンビ再結成はオールドファンに期待を持たせたが、すでに往年の力は残っておらず。12月には解雇通告を受け、NBAでの選手生活に正式にピリオドが打たれた。

 その後ミドルスクールのコーチを経て、2018年からは母校メンフィス大の指揮官に就任。ジェームズ・ワイズマン(ウォリアーズ)やプレシャス・アチウワ(トロント・ラプターズ)らをNBAへ送り出している。

 平均15.2点、5.0アシストの生涯成績からは、ハーダウェイが“ポスト・ジョーダン”候補の一番手だったことを読み取るのは難しい。仮にヒザの故障がなかったとしても、ジョーダンの領域にまで迫ることは、おそらくなかっただろう。

 それでも短い期間だったとはいえ、彼が残した印象は鮮烈だった。マジックやジョーダンの後継者にはなれなかったが、彼のプレーをしっかりと記憶に刻みつけているファンの数は、決して少なくない。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2009年9月号原稿に加筆・修正

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