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誰もが認めた天賦の才——“レインマン”ショーン・ケンプのキャリアはどこで狂ったか【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.07.20

間違いなくスーパースターになれる逸材だったケンプ。しかし様々な理由で自らその可能性を手放してしまった。(C)Getty Images

■大学バスケ未経験でNBA入り。KG、コビー、レブロンの大先輩

 1995年のドラフト5位でミネソタ・ティンバーウルブズに入団したケビン・ガーネット以来、コビー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)、レブロン・ジェームズ(レイカーズ)、ドワイト・ハワード(無所属)ら、高卒でスターになった選手は何人もいる。そのはしりと言える存在なのがショーン・ケンプ。厳密には短大(コミュニティカレッジ)に在籍していたので高卒選手とは言えないが、組織的な大学のバスケットを経験していない点は同じだ。

 ケンプもKGやコビー、レブロンと同じように、全盛期にはNBAを代表するスーパースターとして大活躍し、人気者となった。だが彼らと違うのは、30歳を過ぎた頃にはすっかりその輝きを失い、二流選手に転落していた点だ。才能に関しては彼らと同格かそれ以上のものを持っていたにもかかわらず、慢心と嫉妬心、そして不摂生が重なって、名声を維持することができなかったのである。
 
 高校時代からNBAのスカウトたちの注目を集めていたケンプだが、さまざまなトラブルもつきまとった。まず、インディアナ州で育ちながら地元の名門インディアナ大ではなく、宿敵のケンタッキー大へ進学を決めたことで裏切り者扱いされた。次いでSAT (大学進学適性試験)の点数が低かったため、規定により1年時は試合に出場できず。その上、コーチの息子が所持していた貴金属を盗み、 罪にこそ問われなかったものの大学にいられなくなってしまったのだ。

 その後はテキサス州にある短大に籍を置いていたが、彼のあり余る才能をNBAが放っておくはずもなく、1989年のドラフト17位でシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)から指名される。 NCAAで活躍した有名大学の選手たちを差し置いて、海のものとも山のものともわからぬ18歳の選手を指名したことで、ソニックスのファンの中にはケンプにブーイングを浴びせる者もいた。

「NBAのレベルはテレビで見ているより10倍も凄かった」と話したケンプ。だが、ヘッドコーチのバーニー・ビッカースタッフが「プロの壁にまったく当たることのなかった新人は、私が知る限り彼だけだ」と感心するほど、NBAの水に早い段階で慣れた。
 
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様々な要因からポテンシャルを発揮しきれず