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スターの座から犯罪者へ……。慢心、嫉妬、不摂生により転がり落ちたケンプの悲しきキャリア【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.07.22

1996年のファイナル進出後、ケンプは他者への嫉妬心や不摂生によりスターの座から転がり落ちていった。(C)Getty Images

■スーパースターの座まであと一歩で失墜

 1995-96シーズンに臨むにあたり、ケンプはそれまで以上にハードなトレーニングを積んだ。

「独立記念日でもランニングを休まなかった。 夜中もジムに出かけてシュート練習をし、バーベルを上げたんだ」

 その効果はてきめんだった。平均19.6点、11.4リバウンド、フィールドゴール成功率56.1%の3部門で自己記録を更新。ソニックスはカンファレンス準決勝で、前年王者のヒューストン・ロケッツをスウィープで撃破。カンファレンス決勝でもユタ・ジャズを4勝3敗で振り切り、ファイナル進出を果たした。

 対戦相手はこの年リーグ新記録(当時)の72勝をあげたシカゴ・ブルズとあって、下馬評は圧倒的にソニックス不利。実際、マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペン、デニス・ロッドマンの強力トリオを擁するブルズはあまりにも強く、早々に3連敗。ここまで勝ち上がっただけでもいい経験だった……チームメイトの間には、諦めの空気が漂っていた。
 
 沈滞ムードに活を入れたのは、初戦で32得点、第2戦でも29得点と気を吐いたケンプだった。「そんな態度で試合に臨むべきじゃない。今後またファイナルに戻ってこられる保証はないんだぜ!」。気合いを入れなおしたソニックスは4、5戦に連勝。最終的には2勝4敗で敗れ去ったものの、一矢を報いることはできた。

 ケンプ自身は6試合で平均23.3点、10.0リバウンド。当時最強のディフェンダーだったロッドマンを向こうに回しての数字だけに、なおさら価値は高かった。ソニックスが敗れたにもかかわらず、3人の記者がファイナルMVPの投票用紙にケンプの名を記したほど印象的な活躍によって、ついにスーパースターの称号を手にしたかと思えた。

 ところが、せっかく掴んだ栄光をケンプは自ら手放してしまう。ソニックスがジム・マッキルベインというセンターと、7年3500万ドルの高額契約を結んだのがそのきっかけだった。

 ブロックショットだけが取り柄の2流選手が自分より高い年俸であることに腹を立て、ケンプは契約の見直しを求めたがフロントは拒否。これを不服とし、トレーニングキャンプに姿を現わさなかったのだ。ほんの数か月前にチームメイトを奮い立たせた人間とは思えぬ、利己的な振る舞いだった。
 
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そして始まったケンプの転落キャリア