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「これまでで最も暗い場所にいた」相次ぐケガと愛する家族との別れ――ウォールが苦難の日々を回想<DUNKSHOOT>

秋山裕之

2022.08.31

ウォールにとってここ2、3年は苦難の連続だったという。(C)Getty Images

 今夏ヒューストン・ロケッツとのバイアウトが成立し、制限なしフリーエージェント(FA)となったことで、ジョン・ウォールはロサンゼルス・クリッパーズへ加入した。

 2010年のドラフト1巡目全体1位でワシントン・ウィザーズから指名されてNBA入りしたポイントガード(PG)は、オールスターに5度選ばれた実績を持ち、ほんの数年前まではリーグ最高級の司令塔と評されていた。

 だが18年の年末に左かかとにある踵骨棘(しょうこっきょく)の修復手術を受けるため、18-19シーズン残り試合全休を発表。翌19年2月には左足のアキレス腱部分断裂が発覚し、19-20シーズンも全休。

 20年12月にトレードでヒューストン・ロケッツへ移籍し、20-21シーズンは40試合の出場で平均20.6点、3.2リバウンド、6.9アシストの活躍を披露。しかし昨季はロケッツが若手主体へ切り替えたことで双方合意のうえでトレード先を探すことになったが、巨額な年俸もあって引き取り手は見つからず、自身2度目のシーズン全休を余儀なくされた。

 元オールスターPGにとって、この2、3年間はコート内外において想像を絶するほど辛い時期だったという。現地時間8月29日に登場した救世軍のイベントで、こう明かしていた。
 
「これまでで最も暗い場所にいた。ある時は自殺することも考えていたんだ。アキレス腱を断裂し、ママが病気になって亡くなり、その翌年に祖母も亡くなってしまった。そのすべては新型コロナウイルスの中で起きたんだ」

 ウォールがアキレス腱断裂からリハビリをこなしている際、母は乳癌との闘病の末に19年12月に、さらには祖母も他界したことで、ウォールは相次いで家族との別れを経験。

 その後ウォールはセラピストを探して暗黒期から抜け出すべく奮闘。そして「僕には家族による最高のサポートがある。子どもたちの母、それに息子たちが僕のモチベーションになったんだ。『これを乗り越えられるなら、人生でどんなことだって乗り越えられる』って感じだった。誰だって何かを経験するものだから」と家族のサポートがあったことも話していた。

 そして「僕にとって、自分が望む場所へ戻り、ファンの皆がまたプレーするのを望んでくれていること、サポートしてくれることはもの凄く大きな意味がある」と、ファンからのサポートについても感謝していた。

 昨季は全休したもののまだ31歳。自身を支えてくれる人たちのために、今季はコート上で躍動してほしいところだ。

文●秋山裕之(フリーライター)
 
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