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ジェリー・ウエスト——田舎の少年がレイカーズのエース、NBAロゴのモデルとなるまで【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.10.21

御年84歳となったウエスト。公式には明言されていないが、NBAのロゴ(ウエストの両脇)は彼をモデルにしたものだ。(C)Getty Images

 ジェリー・ウエストの名前を知らない者でも、NBAのロゴは見たことがあるだろう。

 ドリブルする、すらりと滑らかなシルエットこそはウエストその人なのだ。偉大なる"ザ・ロゴ"は、当時のNBAを代表するスーパースターでありながら、優勝は1度しか達成していない。しかし、引退後はGMとしてレイカーズに7度の優勝をもたらした。プレーヤーとしてだけでなく、フロントとしても頂上を極めた男の物語である。

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 今ではマイケル・ジョーダンとの『GOAT論争』が話題になるくらいの高みに達したレブロン・ジェームズ。まだ24歳だった2009年の時点で、すでにコビー・ブライアントと比較されるくらいまで成長していた。いくら何でも、08年にMVPとなったばかりのコビーを超えたというのは言い過ぎでは? との意見が大勢を占めるなか、あるNBAの重鎮が「客観的に見て、レブロンはコビーを超えたと思う」と発言して注目を浴びた。

 発言の主はジェリー・ウエスト。ロサンゼルス・レイカーズのGMとして、コビーの入団当時から彼を見続けてきた人物の言葉だけに重みがあった。しかも彼はただの元GMではない。現役時代はレイカーズのスーパースターとして活躍し、そのスタイリッシュなプレースタイルがNBAのロゴのモデルとなった大物中の大物だ。

 1969年に制定されたファイナルMVPの第1回受賞者でもあり、しかも優勝したボストン・セルティックスではなく、敗者のレイカーズから選出されるという史上ただ一度の珍事の当事者でもあった。
 
■正真正銘の田舎の少年から"ミスター・クラッチ" へ

 レイカーズに入団した頃、ウエストに最初につけられたニックネームは"ジーク・フロム・キャビンクリーク"だった。キャビンクリークはウエストバージニア州にある小さな町で、ウエストの生地シェイランから最も近い郵便局があったところである。NBA史上有数の大スターは、郵便局すらない田舎町で育ったのだ。

 ウエストはさほど運動能力に恵まれた少年ではなく、フットボールや野球では学校のレギュラーにはなれなかった。だがバスケットボールは例外だった。近所の倉庫の壁に取り付けられていたリングに向かい、雨や雪の日も寝食を忘れて練習を積んだ結果、いつしか誰にも負けないほど見事なフォームで、正確なシュートが打てるようになっていた。
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田舎育ちでシャイな少年が、レイカーズのエースになっていく