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NBAの“ザ・ロゴ”、ウエストの伝説は今も続く。輝かしい選手時代と、それに劣らぬ引退後の成功【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.10.22

選手としては得点王とアシスト王に1回ずつ、オールスターには全14シーズンで選出。69年には初代ファイナルMVPに輝いた。(C)Getty Images

■8度目の挑戦でようやく手にしたNBAタイトル

 ウエストがアウトサイド、エルジン・ベイラーがインサイドで点を取りまくり、レイカーズは62、63年と2年連続でファイナルに進出。1年おいて2年連続、また1年おいて今度は3年連続と、ウエスト入団後最初の10年間で7回もファイナルに進んだ。

 ところが、その7回すべてでレイカーズは敗退を喫した。最初の6回の対戦相手はすべてセルティックス。難攻不落の防波堤ビル・ラッセルを中心とする強固なディフェンスと組織的なバスケットボールを、どうしても打ち倒せなかった。

 62、66、69年は最終戦までもつれ込んだがわずかに及ばず、66年と69年は2点差に泣いた。ラッセルが引退し、ニューヨーク・ニックスが勝ち上がってきた70年も第7戦で敗れ去った。

 ウエストが活躍できなかったわけではなく、その反対だった。舞台が大きくなればなるほど、彼のプレーには磨きがかかった。

 65年はポストシーズン11試合で平均40.6点、ディビジョン決勝(現在のカンファレンス決勝)のボルティモア・ブレッツ (現ワシントン・ウィザーズ)戦では46.3点。翌66年も14試合で34.2点と大暴れした。69年のファイナルは第1戦で53得点、最終戦でも42得点、13リバウンド、12アシスト。前編の冒頭で記したように、この活躍によって初代ファイナルMVPに選出された。
 
 それでも最大の目標に届かないのでは、喜べるはずもなかった。「信じがたいほどのフラストレーションだよ」。あと一歩で優勝を逃し続けるたび、周囲の者が近づけないほどウエストは落胆した。「これだけ優勝に迫っても届かないのなら、いっそもっと早い段階で負けた方がいいくらいだ」。

 33歳になった71−72シーズンには、肉体的な衰えを感じて真剣に引退を考え始めていた。ところがこの年、レイカーズはリーグ記録として現在も残る33連勝を達成するなど、当時の新記録となる69勝。ウエスト自身も平均25.8点に加え、9.7アシストはリーグ1位。70年の得点王に続く個人タイトルで、両部門でのタイトル獲得は史上初だった。

 再びニックスと対戦したファイナルも、第1戦に敗れたあと4連勝。長年夢見続けてきた栄冠に、8度目の挑戦でようやく手が届いた。

 その後2年間現役を続けたのち、「自分が思うレベルのプレーができなくなった」として、74-75シーズンのキャンプ中に引退を表明した。

 通算2万5192得点はチームメイトのウィルト・チェンバレン、好敵手ロバートソンに次いで3位、平均27.0点は4位(いずれも引退時点)。プレーオフ通算153試合で記録した平均29.1点は、ジョーダンに抜かれるまでの最高記録だった。
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引退後はレイカーズをはじめ複数の球団を常勝に導く