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世界中を驚かせたマジック・ジョンソンの電撃引退。生き様を通じて人々に送り続けた“勇気のアシストパス”【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2023.01.01

順風満帆なキャリアから一転、エイズにより電撃引退を余儀なくされたマジック。しかし今でも健康で精力的に過ごしている。(C)Getty Images

 1985年、レイカーズとセルティックスは再びファイナルの舞台で相見えた。第1戦で34点差をつけられる屈辱的な敗戦を喫したのをバネにレイカーズは奮起し、通算9回目の対戦で初めてセルティックスを倒して王座に就く。3度目の直接対決となった1987年も、最終戦でマジックがジャバー直伝の"ジュニア・スカイフック"を決めて勝利をもぎ取った。

 1988年にはトーマス率いるピストンズを倒し、これでマジックが入団してからの9年間で5度目の優勝となった。ただ強かっただけではない。マジックの操る変幻自在のパスによって組み立てられたエキサイティングなショータイム・バスケットは、アメリカを超え世界規模で人気を集めた。

「ジョーダンやチャールズ・バークレー(元フェニックス・サンズほか)がいたとしても、私たちが現実に勝ち取ったほど多くの勝利が得られたかどうかわからない。優勝するにはちょっとした化学が必要なんだ。うちのチームでは、マジックがそんな存在なのさ」。(チームメイトのジェームズ・ウォージー)
 
■引退後も人々に希望を与える笑顔の魔法使い"マジック"

 1986-87シーズンからは4年間で3回シーズンMVPを受賞。名実ともに世界最高の選手として君臨し、1991年9月には大学時代からの恋人クッキーと結婚。公私ともに順風満帆だったマジックを、それから2か月もしないうちに突然の嵐が見舞った。HIVウイルスへの感染が判明したのである。

「本日をもってレイカーズを辞めます……。今後はHIVウイルスのためのスポークスマンになるつもりです」

 全世界を駆け巡ったこの引退声明によって、マジックの活動の場はバスケットボールのコートから、講演などを通じたエイズに対する啓発活動へと変わった。

 だからといって、バスケットボールに対する熱い思いが失われたわけではない。1992年のオールスターではファン投票で選出され、「HIVに感染してもバスケットボールができることや、一緒に試合をしてもウイルスに感染しないことを知ってもらうため」1試合限りの復帰を決意。トーマスやショーダンとの1オン1で会場を沸かせ、 MVPを受賞。同年のバルセロナ五輪でも、ドリームチームのキャプテンをバードと2人で務めた。
 
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引退後も送り続ける“アシストパス”