専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

ケビン・ジョンソン――体育館と図書館を往復した品行方正のスーパースター【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2023.04.17

学生時代はバスケだけでなく勉学にも励んでいたKJ。政治家に転身したのも納得だ。(C)Getty Images

学生時代はバスケだけでなく勉学にも励んでいたKJ。政治家に転身したのも納得だ。(C)Getty Images

 現役時代の知名度を生かして、引退後に政治家への道を歩むNBA選手は少なくない。元ニューヨーク・ニックスのビル・ブラッドリーは上院議員から民主党の大統領候補に挙げられるまでになったし、殿堂入り選手のデイブ・ビングは現役時代を過ごしたデトロイトの市長になった。

 チャールズ・バークレーも「引退したらアラバマ州知事選に出馬する」と言っていたが、口先だけだったバークレーと違い、本当に政界へデビューしたのが、フェニックス・サンズ時代のチームメイト、“KJ”ことケビン・ジョンソンであった。故郷サクラメントで2008~16年まで、8年間市長を務めたKJは、現役時代から慈善事業や地域活動に熱心だったので、このような公的な地位に就いたのも驚きではない。

■バスケットと野球の両方で才能を発揮した少年時代

 3歳の時に父を水難事故で亡くしたKJは、母方の祖父母に育てられた。

「本当に何も買えないほど貧しかった。いい車や服を持っているヤツらは絶対ハッピーなんだろうと思っていた」

 それでも、祖父母に愛情を持って育てられたKJは、スラム街のほかの少年たちのように道を踏み外すことはなかった。それに、彼にはバスケットボールがあった。
 
「いつからバスケットを始めたのかは覚えていない。気がついたらコートでプレーしていた。そういう運命だったんだ」

 高校の最終学年では平均32.5点をあげるほどに成長。野球でも才能を発揮して、奨学金をもらってカリフォルニア大に進んだ。

 多くの運動部の選手のように、スポーツだけやっていればいいとは考えず、勉学にも励んだ。大学時代の彼を知る『SLAM』誌の記者アラン・ポールは「一番驚いたのは、図書館で何度も彼の姿を見かけたことだ。自分のいた大学では、運動部の連中がいるのは酒場かピザの店だけだったから」と振り返っている。

 練習が終われば、パーティーに繰り出すチームメイトを横目に図書館に向かい、図書館が閉まると体育館にとって返し、練習を再開したという。
 
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号