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NBA

“コビー&ガソル”はグリズリーズで結成の可能性もあった?名手ウエストが告白「コビーはメンフィスでバスケをしたいと言った」<DUNKSHOOT>

ダンクシュート編集部

2023.06.15

レイカーズに2度の優勝をもたらしたコビー&ガソルだが、2004年にグリズリーズでコンビ結成の可能性もあったようだ。(C)Getty Images

レイカーズに2度の優勝をもたらしたコビー&ガソルだが、2004年にグリズリーズでコンビ結成の可能性もあったようだ。(C)Getty Images

 英雄コビー・ブライアントは現役時代、ロサンゼルス・レイカーズ一筋20年でプロキャリアの幕を閉じた。フリーエージェント(FA)やトレードで移籍の可能性もあったが、レイカーズOBで殿堂入り選手のジェリー・ウエストは、コビーがメンフィス・グリズリーズへ移籍する意思を示していたことを明かしている。

 コビーは1996年のドラフト全体13位でシャーロット・ホーネッツに指名されたが、当時レイカーズのGM(ゼネラルマネージャー)だったウエストが獲得に動き、トレードを経て名門レイカーズでキャリアをスタートさせた。

 20年に及ぶキャリアで、リーグ優勝5回、歴代4位の通算3万3643得点、得点王2回、オールNBA1stチーム11回、オールディフェンシブ1stチーム9回など数々の輝かしい実績を残し、2016年に引退。20年1月にヘリコプター墜落事故で不慮の死を遂げたが、同年4月には現役時代の功績からバスケットボール殿堂入りが発表された。

 コビーは現役20年間、レイカーズ一筋を貫いたが、2000~02年にシャキール・オニール(シャック)との強力デュオで3連覇を果たしたあと、03年にカンファレンス準決勝でサンアントニオ・スパーズに敗退、翌04年にNBAファイナルでデトロイト・ピストンズに敗れ、変化の必要性を考えていたという。

 レイカーズのフロントを退き、02~07年までグリズリーズのGMを務めたウエストは、ロサンゼルス・クリッパーズのポール・ジョージがホストを務めるポッドキャスト『Podcast P with Paul George』で、コビーがグリズリーズ入りの意思を表明していたことを明かした。
 
「コビーは(04年夏に)FAになった。その時の代理人が(現レイカーズGMの)ロブ・ペリンカだったんだ。オレンジカウンティのホテルの部屋で会ったけど、コビーはメンフィスでバスケットボールをしたいと言った。

『私をからかっているのか?』と尋ねたが、彼は『いや、違う』と答えた。だから私は『私がグリズリーズにいるからといって、君がここでプレーする義務はないんだよ』と伝えた。彼がメンフィスでプレーするのは、あり得ないことだったからね」

 コビーは04年にロサンゼルス・クリッパーズでプレーするプランも持っていたとされるが、シャックが同年7月にマイアミ・ヒートへトレードされたこともあり、7年総額1億3640万ドル(現在のレートで約191億円)でレイカーズと再契約を結んだ。ウエストは「ある意味で、タンパリング(所属チームとの契約下にある選手または被雇用者に対する不正交渉)だったのかもしれないね」と断りつつ、今は亡きコビーに思いを馳せている。

「彼はいつも我が家で食事をしていて、いるのが当たり前だったから、タンパリングとは思わなかった。私は彼の父親のような感覚で、素晴らしい関係だった」

 04年当時のグリズリーズには、のちにレイカーズでコンビを組み、2連覇を達成するパウ・ガソルが所属しており、もしコビーが移籍していたら、また違った未来になっていたかもしれない。

構成●ダンクシュート編集部

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