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NBA

「言うべきではないことも言ったと思う」シャックがマジック時代の相棒ペニーに謝罪。コンビ解消の原因は「エゴだった」<DUNKSHOOT>

ダンクシュート編集部

2024.07.22

ペニー(左)とシャック(右)のデュオは結成2年目でファイナルに進出。将来を嘱望されたが…。(C)Getty Images

ペニー(左)とシャック(右)のデュオは結成2年目でファイナルに進出。将来を嘱望されたが…。(C)Getty Images

 1990年代前半にオーランド・マジックを牽引したシャキール・オニール(シャック)&アンファニー“ペニー”ハーダウェイは、“NBA史上最強のデュオ”となり得る可能性を秘めていた。1996年夏にシャックがロサンゼルス・レイカーズへ移籍したことでコンビ解消となったが、シャックはプロ選手としてのエゴがそうさせたと振り返っている。

 92年のドラフト全体1位指名であるシャックと、翌93年の全体3位でゴールデンステイト・ウォリアーズに指名され、同年に1位指名を受けたクリス・ウェバーとのトレードでマジックに入団したペニー。ポイントガード(PG)を欲していたチーム事情もあり、ハーダウェイの獲得を首脳陣に働きかけたのはシャックだった。

 1993-94シーズンはベテランのスコット・スカイルズが正PGを務めていたこともあり、ペニーはシューティングガードとしてプレーする時間も多かったが、全82試合に出場して平均16.0点、6.6アシストと上々の成績をマーク。ウェバーの入団を期待し、ペニーにブーイングを浴びせたオーランドのファンも、すっかり彼のプレーに魅せられていた。

 スカイルズがワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)ヘトレードされ、正PGの座に就いたペニーは2年目に平均20.9点、7.2アシストとスタッツが上昇。オールスターにファン投票で選出されただけでなく、オールNBA1stチームに選出された。
 
 シャック、ペニーに加えてニック・アンダーソンやデニス・スコットらのアウトサイドシューター、そしてシカゴ・ブルズのパワーフォワードだったホーレス・グラントが加わった94-95シーズンにマジックは57勝をあげてイースト最高勝率を記録。

 プレーオフでもマイケル・ジョーダンが復帰したばかりのブルズ、そしてインディアナ・ペイサーズを倒し、NBAファイナルへ進出する。大舞台ではアキーム・オラジュワン擁する王者ヒューストン・ロケッツに4連敗を喫したものの、チームとしてのポテンシャルの高さを示した。

 迎えた95-96シーズン、シャックは親指の骨折で開幕から欠場するが、その間にペニーは平均27点と獅子奮迅の働きで11月の月間MVPに選出。シャック不在の22試合でチームを17勝(シーズンでは60勝)に導くなど、エース不在の穴を感じさせなかった。

 もはやマジックは“ペニーのチーム”といった雰囲気すら生まれ、オーランドではシャック不要論すら口にされるようになった。

 こうした状況に、人一倍プライドの高いシャックが我慢できるはずもなく、96年夏にフリーエージェントでレイカーズと7年総額1億2000万ドルの契約を締結。シャック&ペニーの黄金コンビはあっけなく解体となった。
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