カーメロ・アンソニーは、レブロン・ジェームズ(1位/クリーブランド・キャバリアーズ:現ロサンゼルス・レイカーズ)、クリス・ボッシュ(4位/元トロント・ラプターズほか)、ドゥエイン・ウェイド(5位/元マイアミ・ヒートほか)ら、歴代屈指の当たり年と言われる2003年のNBAドラフトにおいて、全体3位でデンバー・ナゲッツに指名された。
1年目から平均21.0点と持ち前の得点力を発揮し、チームを9年ぶりのプレーオフ進出に導くと、4年目の2006-07シーズンには平均28.9点でオールスターに初出場。11年2月に生まれ故郷の球団であるニューヨーク・ニックスに加入した後もリーディングスコアラーとして活躍を続け、13年にはキャリア初の得点王(平均28.7点)に輝いた。
17年のニックス退団後はオクラホマシティ・サンダー、ヒューストン・ロケッツ、ポートランド・トレイルブレイザーズとチームを転々。21-22シーズンはロサンゼルス・レイカーズで同期のレブロンと共闘し、平均13.3点、4.2リバウンドをマークしたが、翌シーズンは所属先が見つからず、23年5月に現役生活に幕を下ろしている。
19年間で1260試合に出場し、平均22.5点、6.2リバウンド、2.7アシスト、通算2万8289得点はリーグ歴代10位、ニックス在籍時にあげた1万186得点は球団7位にランク。NBA優勝は叶わなかったものの、アメリカ代表では五輪で3つの金メダルを獲得するなど、輝かしい実績を残した。
現在40歳のカーメロは、8月28日に公開された自身のポッドキャスト番組『7PM in Brooklyn With Carmelo Anthony & The Kid Mero』のファンの質問に答えるコーナーでキャリアを回想。結果的に現役ラストイヤーとなった21-22シーズン終了後にニックスに戻るつもりだったことを明かした。
「俺はロサンゼルスでシーズンを終えた。その夏、もうLAに戻らないと分かっていた.。エネルギーというか、雰囲気が違ったんだ。悪い雰囲気ではなかったけど、何か他のことを考えるための話し合いをするような雰囲気ではなかった。
彼ら(レイカーズ)が別の方向に向かっているのは分かっていたよ。それは問題ない。でもその時点で、自分の計画通りに進んでいるようだった。ニューヨークに戻り、そこでキャリア最終年を過ごす。良いチームなら俺はまだプレーできるし、助けにもなれる」
実際、ニックスは22年オフにオファーを出したが、チームが与えられる役割は「今日はプレーするかもしれないし、次の6試合はプレーしないかもしれない」という完全にベンチウォーマー的な扱いで、カーメロは「いや、無理だ」と返答。
「いつ出場するか、しないかが分からない状態は経験したくない。俺は潔く引退するつもりだ。ロサンゼルスではバスケットボールのことなんかどうでもいいような、とんでもない1年を過ごした。そんなことはできない。全体的に見れば、それは大きな衰退だと思う」と古巣からの誘いを拒否したという。
カーメロはニックス入りに前向きだったものの、首脳陣からプレータイムについて明確な回答を得られなかったこと、そして本気でオファーを出していないことが、古巣復帰が実現しなかった一因だと語っていた。
構成●ダンクシュート編集部
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1年目から平均21.0点と持ち前の得点力を発揮し、チームを9年ぶりのプレーオフ進出に導くと、4年目の2006-07シーズンには平均28.9点でオールスターに初出場。11年2月に生まれ故郷の球団であるニューヨーク・ニックスに加入した後もリーディングスコアラーとして活躍を続け、13年にはキャリア初の得点王(平均28.7点)に輝いた。
17年のニックス退団後はオクラホマシティ・サンダー、ヒューストン・ロケッツ、ポートランド・トレイルブレイザーズとチームを転々。21-22シーズンはロサンゼルス・レイカーズで同期のレブロンと共闘し、平均13.3点、4.2リバウンドをマークしたが、翌シーズンは所属先が見つからず、23年5月に現役生活に幕を下ろしている。
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カーメロはニックス入りに前向きだったものの、首脳陣からプレータイムについて明確な回答を得られなかったこと、そして本気でオファーを出していないことが、古巣復帰が実現しなかった一因だと語っていた。
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