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「マイアミを去ることも考えていた」ウェイドが2010年の移籍市場の舞台裏を回顧「背番号6(レブロン)から電話が来て、すべてが変わった」<DUNKSHOOT>

ダンクシュート編集部

2024.11.12

2010年に結成され、輝かしい実績を残したビッグ3だが、当初ウェイド(左)はヒートからの移籍を考えていたという。(C)Getty Images

 ドゥエイン・ウェイドは、NBAキャリア17年のうち15年をマイアミ・ヒートで過ごし、バスケットボール殿堂入りも果たしているレジェンドだ。

 2012、13年にヒートでレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)、クリス・ボッシュ(元トロント・ラプターズほか)とともに2度のリーグタイトルを手にしたが、"ビッグ3"が結成された10年のオフ、当初は他球団へ移籍するつもりだったという。

 03年のドラフト全体5位指名でヒートに入団したウェイドは、2年目の2004-05シーズンに平均24.1点をあげてチームのエースに。翌05-06シーズンにはシャキール・オニール(シャック)とのデュオでヒートに初優勝をもたらした。

 しかし、初優勝後は4シーズンで3回プレーオフに進出するも、いずれも1回戦で敗退。07-08シーズンに至っては15勝67敗でリーグ最下位に沈み、相棒のシャックはシーズン途中にトレードで放出された。

 10年夏にフリーエージェント(FA)となったウェイドは、同期のレブロンやボッシュらとともに去就が注目されていた。当時クリーブランド・キャバリアーズに在籍していたレブロンは米スポーツ専門局『ESPN』の特別番組『The Decision』でヒート行きを発表したことで、キャブズファンが彼のユニフォームを燃やすなど全米中の悪役となったのは有名な話だが、ウェイドも地元球団のシカゴ・ブルズと2度面談を行なっており、気持ちは移籍に傾いていた。
 
 ウェイドはヒート時代に共闘したユドニス・ハズレムとマイク・ミラーがホスト役を務めるポッドキャスト番組『The OGs』に出演した際、「レブロンはキャリアにおいて(これまでとは)何か違うものを求めていた。それぞれが(NBAで)7年間プレーする間に、レブロンはMVPを2度獲得したし、私も優勝して、ファイナルMVPにも輝いた。その後、マイアミは低迷期を経験し、再建に向かった。実際、あの時点でマイアミを去ることも考えていた」と明かした。

 ミラーが「本当かい?」と尋ねると、ウェイドはデリック・ローズ、ジョアキム・ノア、ルオル・デンといった才能ある選手が揃っていたブルズから、最終的にレブロン、ボッシュとヒートで共闘することを選んだ背景に触れた。

「誰かを獲得しても、自分たちがさらに上のレベルに行けるとは思わなかった。タレント不足ということではなく、選手層の厚さの問題だ。FAの本質は、選択肢を模索すること。その時、私は優勝するチームの一員になりたいと切望していた。

 ホームタウンのチーム(ブルズ)が勝てる可能性があり、(生まれ故郷の)シカゴに戻ることを決めていた。7年もプレーして、優勝して次に進む時だ。マイアミから出ていくつもりだったのがFAになる時の私の胸中だったけど、背番号6(レブロン)から電話が来て、すべてが変わった」
 
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「当時、どのチームも2人のスターが最低限必要だった」