ナイキは「アップテンポ」という新たなカテゴリーをピッペンのためにリリースした。「ポイントフォワード」と称される彼のようなポジションの選手のためのシューズだった。
「マエストロシリーズもとても気に入っていたのだが、足首へより負担がかからないようにクッション性に優れていたアップテンポシリーズが最終的には一番履く頻度が高くなった」とピッペンは言う。
結局、ピッペンはキャリア10年目の97年に自らの名前を冠したシグネチャーシューズ『エア・ピッペン』をリリースすることになる。
ナイキの開発担当者は当時、「ピッペンがオールラウンダーで、コートを走り、跳び、豊富な運動量で激しいプレーをしていることを知る人なら、このシューズの機能性をいちいち説明する必要はない。まさにピッペンのシューズなのだから」と語っていた。
実はこの『エア・ピッペン』のリリースに当たって、ナイキは大きな選択をしたという興味深い話がある。当時、ナイキはピッペンのほかにもブルズの主力選手と契約を交わしていた。ビッグ3の一角、ロッドマンである。ブルズに移籍して人気絶頂だったロッドマンのシグネチャーにすべきか、ピッペンか。悩んだ結果、ナイキはピッペンを選んだ。その理由は、彼のバスケットボールに全身全霊を傾ける姿の方がナイキのブランドイメージに合っているからだったという。
当時のチームメイトで現在ゴールデンステイト・ウォリアーズのヘッドコーチを務めるスティーブ・カーは言う。
「ピッペンはコートの全員を常に見ている。普通なら無理をしてでもジョーダンにボールを入れようとする。ジョーダンに嫌われたくないし、ジョーダンといいコンビだと評価されるのは気分がいいものだからね。しかしピッペンはノーマークの選手がいれば迷わずそこへパスをする。フリーのチームメイトを優先させるんだ。ブルズの成功の陰にはピッペンのボールコーディネート力があった。彼はチームのためにプレーしていた」
バスケットボールにおいて選手同士の信頼関係がどれだけ重要かを物語ってくれたのがピッペンだった。ちなみに、実現こそしなかったが、ブルズからロサンゼルス・レイカーズに移ったフィル・ジャクソンHCがシャキール・オニールとコビー・ブライアントの関係改善を考えた時に、一番最初に頭に浮かんだのがピッペンだったという。
文●北舘洋一郎
【名場面PHOTO】ジョーダン最後のオールスター、コビー81得点、カーターの豪快ダンク……1999-2019 NBA名場面集
「マエストロシリーズもとても気に入っていたのだが、足首へより負担がかからないようにクッション性に優れていたアップテンポシリーズが最終的には一番履く頻度が高くなった」とピッペンは言う。
結局、ピッペンはキャリア10年目の97年に自らの名前を冠したシグネチャーシューズ『エア・ピッペン』をリリースすることになる。
ナイキの開発担当者は当時、「ピッペンがオールラウンダーで、コートを走り、跳び、豊富な運動量で激しいプレーをしていることを知る人なら、このシューズの機能性をいちいち説明する必要はない。まさにピッペンのシューズなのだから」と語っていた。
実はこの『エア・ピッペン』のリリースに当たって、ナイキは大きな選択をしたという興味深い話がある。当時、ナイキはピッペンのほかにもブルズの主力選手と契約を交わしていた。ビッグ3の一角、ロッドマンである。ブルズに移籍して人気絶頂だったロッドマンのシグネチャーにすべきか、ピッペンか。悩んだ結果、ナイキはピッペンを選んだ。その理由は、彼のバスケットボールに全身全霊を傾ける姿の方がナイキのブランドイメージに合っているからだったという。
当時のチームメイトで現在ゴールデンステイト・ウォリアーズのヘッドコーチを務めるスティーブ・カーは言う。
「ピッペンはコートの全員を常に見ている。普通なら無理をしてでもジョーダンにボールを入れようとする。ジョーダンに嫌われたくないし、ジョーダンといいコンビだと評価されるのは気分がいいものだからね。しかしピッペンはノーマークの選手がいれば迷わずそこへパスをする。フリーのチームメイトを優先させるんだ。ブルズの成功の陰にはピッペンのボールコーディネート力があった。彼はチームのためにプレーしていた」
バスケットボールにおいて選手同士の信頼関係がどれだけ重要かを物語ってくれたのがピッペンだった。ちなみに、実現こそしなかったが、ブルズからロサンゼルス・レイカーズに移ったフィル・ジャクソンHCがシャキール・オニールとコビー・ブライアントの関係改善を考えた時に、一番最初に頭に浮かんだのがピッペンだったという。
文●北舘洋一郎
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