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NBA

球宴の目玉“スラムダンク・コンテスト”がスタート。本戦ではマジック、バード、ジョーダンらレジェンドがファンを魅了【NBAオールスター全史|1980~89年】

出野哲也

2020.02.13

延長までもつれた84年大会では東西を代表するスターPGが躍動。マジック(左)が大会記録の22アシストをあげれば、トーマス(右)は21得点、15アシストで勝利の立役者に。(C)Getty Images

延長までもつれた84年大会では東西を代表するスターPGが躍動。マジック(左)が大会記録の22アシストをあげれば、トーマス(右)は21得点、15アシストで勝利の立役者に。(C)Getty Images

 2月14~16日(日本時間15~17日)に開催される年に一度の祭典、NBAオールスター。東西のスーパースターが一堂に会する本戦をはじめ、スラムダンク・コンテストや3ポイントコンテストといった各種イベントが行なわれるこの夢舞台に、今年は八村塁(ワシントン・ウィザーズ)がライジングスターズ(キャリア1、2年目の選手が覇を競い合う若手版オールスター)にチームWORLD(アメリカ国籍以外の選抜メンバー)の一員として参戦。日本のファンからの注目度も、これまでにないほど高まっている。

 このお祭りを余すことなく楽しむためにも、今一度これまでの大会を振り返っておくべきだろう。今回取り上げる1980年代における最大のトピックは、オールスター・サタデーの導入だ。そのなかでもダンクコンテストはファンの注目度が高く、球宴の目玉イベントと呼べるものに成長を遂げた。
 
 80年代はNBAが大きな飛躍を遂げた年代であり、それは球宴も同様だった。84年にコミッショナーに就任したデイビッド・スターンは、それまで日曜日に本戦を行なうだけだったものを、前日の土曜日も「オールスター・サタデー」と銘打ち、スラムダンク・コンテストやレジェンズ・ゲーム(過去の名選手を集めた試合)などを開催。86年からは3ポイントコンテストも始まるなど新たなアトラクションを次々に取り入れた。その中でもスラムダンク・コンテストは本戦以上の注目を集めるようになり、NBAの代名詞とさえ言えるほどのイベントになった。

 肝心の本戦では、80年にマジック・ジョンソン(ロサンゼルス・レイカーズ)、ラリー・バード(ボストン・セルティックス)の大型ルーキー2人が早速オールスターで先発出場。マジックはファン投票でも、チームメイトのカリーム・アブドゥル・ジャバーに次ぎ、ウエストで2番目に多い票を獲得した。また、バードはこの年からリーグに導入された3ポイントを、球宴で初めて決めた選手になった。80年代を通じて、彼らが本戦に出場しなかったのはバードが89年、マジックは81年と89年だけで、いずれも故障が理由。バードは82年にMVP、マジックは84年に大会新記録の22アシストを記録し、86年には初めてファン投票で100万票以上を得た選手となった。
 
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