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NBA

NBAオールスターの知られざる歴史。バスケのイメージアップが開催のきっかけに?【NBAオールスター全史|1951~59年】

出野哲也

2020.02.12

第1回大会で20得点をあげたマコーリー(左)は、初代MVP受賞者に。(C)Getty Images

第1回大会で20得点をあげたマコーリー(左)は、初代MVP受賞者に。(C)Getty Images

 2月14~16日(日本時間15~17日、日付は以下同)に開催される年に一度の祭典、NBAオールスター。東西のスーパースターが一堂に会する本戦をはじめ、スラムダンク・コンテストや3ポイントコンテストといった各種イベントが行なわれるこの夢舞台に、今年は八村塁(ワシントン・ウィザーズ)がライジングスターズ(キャリア1、2年目の選手が覇を競い合う若手版オールスター)にチームWORLD(アメリカ国籍以外の選抜メンバー)の一員として参戦。日本のファンからの注目度も、これまでにないほど高まっている。

 このお祭りを余すことなく楽しむためにも、今一度これまでの大会を振り返っておくべきだろう。まずはリーグ黎明期の1950年代のゲームをプレーバック。過去68回の長い歴史を誇るNBAオールスターは、いったいどのような経緯で開催に至ったのだろうか。
 
■MVP賞が制定されたのは第3回大会から

 1946年に誕生したBAAが、NBLと合流してNBAとなったのが49年。第1回のオールスターゲームは、その2年後の51年から始まった。発案者はリーグの広報部長だったハスケル・コーエン。この頃、プロよりも人気があったカレッジバスケで八百長事件が発覚し、競技自体のイメージが悪化しており、そうした空気を変えようとして企画されたものだった。

 この提案に大多数のオーナーたちが乗り気ではなかったなかで、ボストン・セルティックスのウォルター・ブラウンだけが興味を示した。彼はボストン・ガーデンを無料で貸し出すだけでなく、「もし損失が出たら私が補填する」と他球団のオーナーたちを説得し、開催にこぎ着けたのである。

 出場選手はファン投票ではなく記者によって選ばれ、会場には1万人を超える観衆が集結。「試合前は面倒臭そうだった選手たちも、今まで見たことがないほどの観客を見て俄然やる気を掻き立てられた」とレッド・アワーバック(セルティックスHC)が語ったように、レギュラーシーズンの平均入場者が3000人台だったのを思えば大成功で、翌年からも行なわれることが決まった。
 
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