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輝かしい現役時代から一転…“無能経営”“セクハラ”など引退後は失敗続きのトーマスがNBAに戻る日は来るのか【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2025.10.10

■輝かしい実績とは裏腹に拭えぬ“悪役”のレッテル

 続く1989-90シーズンも、平均27.6点、 7.0アシストでファイナルMVPに輝いたトーマスの活躍で、ポートランド・トレイルブレイザーズを下しピストンズは2連覇を達成した。

 だが翌1991年はカンファレンス決勝でブルズに4連敗。試合後トーマスが先頭になって、ブルズの選手たちと挨拶を交わさずコートを去ったことで、またしても非難を浴びた。この時を境にジョーダン時代の幕が開き、バッドボーイズ王朝は終焉を迎えた。

 トーマスのキャリアもその後は下り坂だった。1992年のバルセロナ五輪ドリームチームにも、スーパースター級の選手ではただ一人選ばれなかった。トーマスとジョーダンが犬猿の仲であることを考慮したものだと思われるが、大学時代の1980年にモスクワ五輪代表に選出されながら、アメリカのボイコットで幻となった経験があっただけに、残念な結果だった。

 1994年の世界選手権(現ワールドカップ)もアキレス腱断裂のために出場できず、最後まで世界を舞台に戦うことはできなかった。 結局このケガが引き金となり、33歳の若さでトーマスは現役を退いた。

「こんなに早く引退するとは思わなかったが、素晴らしい時を過ごせました」

 松葉杖をつきながらの引退会見で、トーマスは涙ながらに語った。
 
「数多くの友人に恵まれ、子どもの頃には想像もしなかった多くの場所を訪れることができたのも、すべてバスケットボールのおかげでした」

 引退後はピストンズのフロントで働き始めたが、オーナーと対立して退団。1995年に結成されたトロント・ラプターズの球団社長に迎えられ、就任当初はまずまずの好成績を収めて手腕を評価されたが、またしても経営陣との軋轢から退団する。

 2000年から3年間インディアナ・ペイサーズで指揮を執った時も、はかばかしい成果を得られず3シーズンで退任。そしてニックスでの混乱ぶりは、前編で記した通り。その後大学のコーチに招かれたときも結果は出せなかった。

 かつては「今まで見てきたなかで、最も頭脳明晰な選手」 (当時のピストンズのアシスタントコーチ、 ディック・ハーター)と呼ばれていたトーマスだが、現状は非常に寂しいものと言うしかない。2025年には無名のプロリーグで新球団のヘッドコーチに任命されたが、はたしてNBAの世界に戻ってくる日は来るのだろうか。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2008年3月号原稿に加筆・修正

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