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NBA

ホーネッツの主力として、そしてステフィンの父として、デル・カリーがNBAに残した確かな爪痕【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.02.21

ステフィン(左)がリーグ最高のシューターになれたのは、父デル(右)の指導があってこそだった。(C)Getty Images

ステフィン(左)がリーグ最高のシューターになれたのは、父デル(右)の指導があってこそだった。(C)Getty Images

 試合前の練習では、ライスとその息子グレン・ジュニア、デルとステフィン・カリー(現ゴールデンステイト・ウォリアーズ)の親子同士で3ポイント対決を行なうのが恒例だった。1月には得意の3ポイントで通算1万得点に到達し「ここまで点を重ねられたのは、ケガをすることなく、毎年コンスタントにプレーできたからこそ。次は1万5000点を目指すよ」と新たな目標を語った。

 ミルウォーキー・バックスに移籍した98年は、3ポイント成功率でリーグトップの47.6%を記録。現役最後の3年間はラプターズに所属し、37歳で選手生活を終えた。
 
 面白いことに、引退後のデルは3ポイントに対してこのような発言をしていた。「今の選手はミドルシュートが下手になった。みんな3ポイントを打つか、さもなければリムに向かって突進していくばかり。私が現役の頃はピュアシューターと呼ばれる選手が何人もいたが、今はそうではない。確かにディフェンスは昔より良くなっているけどね」。

 それが事実かどうかは別として、自信を持ってそう断言するくらいの技術をデルは持っていた。引退後の2004年にはバージニア州のスポーツ殿堂に迎えられ、07年にシャーロット・ボブキャッツ(現ホーネッツ)のコーチを引き受けたが、家庭を優先させるためシーズン前に辞任した。

 シャーロット地域においては今も重要な存在であり続け、若者を扶助する目的でデル・カリー財団を創設。妻のソーニャもモンテッソーリ教育の学校を運営している。

 プロのコーチ経験はなくとも、息子たちを一流の選手に鍛え上げた彼が優秀な指導者なのは明らかだ。高校時代まで、ショーン・マリオン(元フェニックス・サンズほか)のような奇妙なフォームでシュートを打っていたステフィンは、父から正しいフォームを伝授された。

 父の直接指導を受けたステフィンは、のちにこう回想している。

「それまでちゃんと決められていたんだから、フォームを変えられたのは苦痛だった。でも1か月半練習に取り組んだら、効果は覿面だったよ」
 
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