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NBA

“ドック”の由来は着ていたTシャツ。現役屈指の名将リバースは、いかにしてその統率力を培ったのか【NBA名脇役列伝・前編】

出野哲也

2020.03.12

PGの必須スキルを高次元で備えていたリバースは、ルーキーイヤーの中盤から先発の座を確保。(C)Getty Images

PGの必須スキルを高次元で備えていたリバースは、ルーキーイヤーの中盤から先発の座を確保。(C)Getty Images

 Tシャツだけでなく、プレーもドクターJ顔負けだった。コラムニストのチャールズ・P・ピアースは、高校時代のリバースについて次のように語る。

「リバースを初めて見たのは全国高校トーナメントの時だった。前日の試合で肉離れを起こした彼は、包帯をぐるぐる巻きにしてその試合に出場していた。前半は動きにキレがなくて『なんだ、評判ほどでもないな』と思ったけど、後半はまるで別人だった。何より凄かったのは、3ポイントを外したあとに自らリバウンドを奪い、ティップイン・ダンクを決めたシーンだ。私は驚きのあまり、座っていた椅子を壊してしまったほどだよ(笑)」

 高校卒業後は、数多くの勧誘のなかからマジェラスがHCを務めるマーケット大を選択。1982年には、コロンビアで行なわれた世界選手権のアメリカ代表に選出される。決勝でソビエト連邦(現ロシア)に1点差で敗れ、惜しくも銀メダルに終わったが、リバース自身は平均18.6点の活躍で大会MVPに輝いた。
 
 大学3年終了時にアーリーエントリーを表明。1983年のドラフト2巡目31位でアトランタ・ホークスに入団したリバースだったが、この指名権は、ホークスがHCのケビン・ロッカリーをシカゴ・ブルズへトレードして得たものだった。つまりリバースは、プロ入りの時点ですでに“HC⇔ドラフト指名権”のトレードに関わっていたわけだ。

 指名順位こそ低かったものの、ホークスのマイク・フラテロHCは最初からリバースの実力を高く買っていた。

「とにかく動きが素早く、大学でスティールを量産したのも頷ける。ゆくゆくはNBAでも指折りのディフェンダーになれるだろう」

 その言葉通り、リバースはシーズン途中から先発で起用されるようになり、チーム最多の127スティールを奪取。翌年には14.1点と平均得点を2桁に乗せ、得意のスティールは2.36本でリーグ4位にランクインするなど、メキメキと力をつけていった。

 193cmとポイントガードとしてはサイズに恵まれ、ボールハンドリング、パスセンス、状況判断のいずれもが一級品。シュートはさほど得意ではなかったが、自慢のクイックネスを生かしてゴール下に切れ込み、時には豪快なダンクも見舞った。
 
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