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NBA

大ケガ、強豪への移籍を機にロールプレーヤーへと転身。栄光に満ちたロン・ハーパーのキャリア第2章【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.03.24

ブルズ移籍を機に主役から脇役へと転身。レイカーズでも得意の守備で主力を支え、キャリアで5度も頂点に立った。(C)Getty Images

ブルズ移籍を機に主役から脇役へと転身。レイカーズでも得意の守備で主力を支え、キャリアで5度も頂点に立った。(C)Getty Images

 PGに転向しても、ハーパーが攻撃を指揮するようになったわけではなかった。ブルズが採用していたトライアングル・オフェンスでは、必ずしもPGがボールを持つ必要がなかったからだ。ハーパーの役目は、ディフェンダーとして相手にプレッシャーをかけることであり、彼はそれを完璧にこなした。

「ロンがシューティングガードをマークしてくれるから、マイケルの守備の負担はものすごく軽くなっている」(当時アシスタントコーチのジョン・パクソン)

 もともと定評のあったディフェンスは、ジョーダンらと練習を重ねることでさらに磨きがかかった。試合のある日は毎朝、ハーパーとピッペンはジョーダンの自宅を訪ね、朝食をとったのち一緒にワークアウトに励んだ。“ブレックファスト・クラブ”と呼ばれたこの3人を軸とした鉄壁の守りは、ブルズ2度目の3連覇の原動力となった。
 
 99-00シーズンには、レイカーズのヘッドコーチに就任したジャクソンの後を追うようにしてロサンゼルスへ。シャキール・オニールやコビー・ブライアントにトライアングル・オフェンスの極意を伝授し、またコビーのディフェンスの師匠ともなって、チャンピオンリングを2つ増やした。ただ、レイカーズ時代については、このような微妙な言い回しをしている。「シカゴでは俺たちは“チーム”だった。レイカーズでは優勝はしたけれども……あの時のメンバーに、本音の部分で楽しかったかどうか訊いてみたら、どう答えるかな」

 キャブズの同僚だったドアティは「ロンをもう少し大きく、強くしたらレブロン・ジェームズになる」と発言したことがある。レブロンはキャブズに優勝をもたらすことのないまま、2010年秋にマイアミへと去ってクリーブランド市民の怒りを買った。

 その4年後に戻ってきたレブロンは、2016年にキャブズを初優勝に導いたのはご存じの通り。けれども、その26年前にハーパーをトレードしなかったら、キャブズはすでに優勝を経験していたかもしれず、レブロンもあれほど恨まれずに済んだのかもしれない。何しろ、他ならぬジョーダンがこう言っているのだ。

「キャブズがロンを放り出したのは、私の人生で起こった最高の出来事だった」

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2012年12月号掲載原稿に加筆・修正

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