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NBA

“下位チームの主役”から“強豪チームの脇役”へ――酸いも甘いも知り尽くしたロン・ハーパーのキャリア【NBA名脇役列伝・前編】

出野哲也

2020.03.23

ハーパーは、キャリア初期はリーグきってのスコアラーとして、後期は有能な脇役として優勝に貢献した、稀有な存在だ。(C)Getty Images

ハーパーは、キャリア初期はリーグきってのスコアラーとして、後期は有能な脇役として優勝に貢献した、稀有な存在だ。(C)Getty Images

 バスケットボールの腕に覚えのある者なら、誰でもチームの中心となって脚光を浴びたいと思うだろう。それが優勝に縁のない下位チームであったとしても、注目の的にはなれるし高い給料も得られる。その一方で、どんな役割であっても、チームとして勝利を手にしたいとの願望もまた、皆が持っている。だが、いずれも同時に叶えられるのはごく一握りのスーパースターだけで、それ以外の選手は「弱いチームの主役」、もしくは「強いチームの脇役」のいずれかに甘んじなければならない。

 ロン・ハーパーはその両方を経験している。NBAでの最初の8年間はエースとして、最後の7年間はチャンピオンチームでロールプレーヤーに徹し、いずれの立場でも称賛を得た、数少ない選手の一人だった。
 
 ハーパーには子どもの頃から吃音があり、かなり大きくなってからもそのことをからかわれ続けた。だが、バスケットボールをする時だけは、周りの子どもたちは競って彼をメンバーに加えたがった。それほどまでに、ハーパーの才能は抜きん出ていたのだ。

 高校卒業後はマイアミ大学に進んだ。と言ってもフロリダの出身ではなく、生まれも育ちもオハイオ州デイトン。オハイオにはマイアミという名の郡があって、そこにあるマイアミ大は、フロリダではないことを示すため、通常「マイアミ・オブ・オハイオ」と呼ばれている。

「第1希望はアリゾナ州大だったんだけどね。母親にそれを伝えたら“マイアミならここから45分よ”と返されて、まあいいかと思ったのさ」

 身長198cm、体重98kgの体型は1歳年上のマイケル・ジョーダンとほぼ同じ。プレースタイルもジョーダンに通じるものがあった。左のシューズに“ディフェンス”、右には“ダンク”と書き込んでプレーしていたのは「そのふたつが、俺の最も得意とするもの」だったからだ。

 1985年に神戸で開かれたユニバーシアードでは、全米代表の一員として銀メダルを獲得した。大学4年時には平均24.4点、11.7リバウンドの好成績で、オール・アメリカ2ndチームに選出。所属カンファレンスの通算得点記録も樹立し、86年のドラフト1巡目8位でクリーブランド・キャバリアーズから指名された。

 GMのウェイン・エンブリーは大学の先輩でもあり、地元の有望株を手に入れてご機嫌だった。もちろんハーパーも「生まれ故郷のチームでプレーできるなんて幸せだ。ここなら家族も試合を見に来れるしね」と喜んだ。
 
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