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NBA

「1人の人間の夢が“物”扱いされた」スター街道を驀進していたウェバーが、NBA入り直後に味わった屈辱と苦悩の日々

北舘洋一郎

2020.04.03

ウォリアーズ時代は決して充実した日々とは言えなかったが、スプリーウェル(右)と出会えたことは大きな財産となった。(C)Getty Images

ウォリアーズ時代は決して充実した日々とは言えなかったが、スプリーウェル(右)と出会えたことは大きな財産となった。(C)Getty Images

「結果として、ドラフト直後のトレードについて疑問は何もない。これがプロのやり方だと納得するしかないからね。だけど、俺が心から失望したのは、NBA史上に残るこの電撃トレードによって、1人の人間の夢が“物”扱いにされたことだった。ビジネスの世界ではよくあることだし、NBAでも当たり前のことだとは言うが、俺はそういうやり方は今でも好きにはなれない」とウェバーは苦言を呈している。

 これ以降、ウェバーは限られた人にしか心を開かないようにしたと言う。大学までは、自分を地元のヒーローだと心から応援してくれるミシガン州民の期待に応えるために、勝利への意欲を持っていたウェバーだったが、この件で頭のなかを切り替えなければならないと自覚した。その一方で、家族や小さい頃からの友人たちへの思いが今まで以上に強くなったという。

 トレード先のウォリアーズと契約を結ぶ際にも、“どこかで裏切られるのではないか”という猜疑心が働き長い時間をかけてしまったために、メディアからは“わがままな現代っ子の典型”とレッテルを貼られたこともあった。ルーキーシーズンが始まるとチームの躍進の立役者となり、トレード相手だったペニーを圧倒して新人王を奪取したが、球団幹部やコーチたちからは「まだまだ精神的には子どもだ」とコートでの結果を素直に評価してもらえない日々が続いた。
 
 当時のウォリアーズのヘッドコーチ(HC)を務めていたドン・ネルソンについても、ルーキー時代に「ドンはコーチとしては優れた存在だし、それだけの実績を残している。しかし、彼は選手に対しての配慮がまったくなかった。選手は試合に勝つための駒ぐらいにしか思っていない。プレーヤーへの敬意がないんだ」と痛烈に批判したことがあった。当時のNBAのコーチと選手の関係にはまだ封建的な部分が強く、そういうチームは時代遅れだ、とウェバーは言いたかったのだ。

 ウェバーにとってウォリアーズ時代の一番の財産というのが、ラトレル・スプリーウェルと一緒にプレーができたことだった。チームを離れた後でも2人の友情は続き、お互いがシューズにそれぞれの背番号を書き込み試合に臨んでいたほどだ。

「俺とスプリーは別のチームに移籍し、それぞれ頂点にあと一歩で手が届くところまでは行ったが、上り詰めることはできなかった。だけど、どこか気の合うところがあって、常にお互いを意識していたんだ」
 
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