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NBA

“最もダーティー”と恐れられた守備職人、ブルース・ボウエンが歩んだ茨の道【NBA名脇役列伝・前編】

出野哲也

2020.04.08

ヒート在籍時、名将ライリーの下で守備に開眼したことがその後のキャリアにつながった。(C)Getty Images

ヒート在籍時、名将ライリーの下で守備に開眼したことがその後のキャリアにつながった。(C)Getty Images

 フラートンで過ごした4年間では、新しい“家族”ができた。ロバートとサンドラのスラッシュ夫妻である。教会で知り合い、やがて深い絆で結ばれるようになったこの夫妻を、ボウエンは実の親のように慕っている。

「彼らは俺がどこにいても、試合を見に来てくれた。本当の親は何の関心も示さなかったのにね。血が水より濃いなんて、俺には信じられない」

 最終学年では平均16.3点、6.5リバウンドを記録したが、1993年のNBAドラフトでは指名漏れ。マイナーリーグのCBAからもカットされた彼はフランスへと渡った。ル・アーブル、エブローベサンソンに所属し、平均30点以上をあげた年もあったが、なかなかNBAへの道を切り開くことはできなかった。

「このままヨーロッパでプレーを続けるのも良いかなと思い始めていたんだ。自分と家族を養えるだけの金は稼げたから」

 1997年にようやくマイアミ・ヒートと10日間契約を結んだが、出場はわずか1試合。しかも、出番は1分だけだった。
 
 それでも翌1997-98シーズンはボストン・セルティックスに所属し、61試合に出場するなど徐々にNBAでの足場を固めていく。1999年からの2年間は再びヒートに在籍。名将パット・ライリーの下でプレーしたことが、のちの名ディフェンダーの礎となった。

「どうやったら試合に出られるか、パットの目に留まるにはどうすればいいか考え続けた。その答えがディフェンスだった。シュートには好不調の波があるから、調子が悪ければ出してもらえない。でもディフェンスにはそれがないからね」

 もともと手足の動きが素早かったため、ディフェンダーとしての素質はあった。それに加えて相手を押したり、ユニフォームを摑んだりしてシュートの邪魔をし、時にはトラッシュトークを仕掛けて精神的に揺さぶりをかけるなど、様々なテクニックを駆使して好守を披露。2001年にはオール・ディフェンシブ2ndチームに選出され、その守備力はリーグ内外に知れ渡るようになる。(後編に続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2013年1月号掲載原稿に加筆・修正

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