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NBA

マジックはレイカーズでの現役復帰を望まなかった?名司令塔がプレーしたかったチームとは…

ダンクシュート編集部

2020.04.30

1995-96シーズンの途中に現役復帰したマジック。名司令塔の復活でレイカーズはウエスト4位の53勝をあげたが、プレーオフでは1回戦で敗退した。(C)Getty Images

1995-96シーズンの途中に現役復帰したマジック。名司令塔の復活でレイカーズはウエスト4位の53勝をあげたが、プレーオフでは1回戦で敗退した。(C)Getty Images

 ニックスのHCを務めていたライリーも、92年9月に「バスケットのメッカ(マディソンスクエア・ガーデン)で、私と一緒にニックスでプレーするのはどうだろうと、彼は気になっていたことを口に出しただけだと思う」と語り、あまり深く考えていない様子だった。

 引退発表から約4年以上が経過した96年1月29日、マジックはレイカーズで現役復帰。そして、ニックス移籍の願望があったことをほのめかす発言が飛び出すわけだが、冒頭のコメントには続きがある。

「パットは、私がリーダーシップをもたらし、チームをまとめられるといつも考えていた。私のサイズを生かして、(パトリック)ユーイングに様々なパスが出せると。そうすれば、もう1人のスコアラーを“秘密兵器”として加えられると考えたんだ。もしヒューストンとのシリーズ(94年ニックスとロケッツによるファイナル)で、ニックスにもう1人スコアラーがいたら勝っていた。彼は15~17点を取れる選手を探していたんだ」

 この時もウエストは、ニックスとレイカーズがトレードの交渉を行なったことはなく、マジックが「それを要求したことはなかった」と否定していたが、はたして真相は――。

『The Athletic』のマイク・ヴォークノフ記者は当事者たちを直撃。マジックはCEO兼会長を務める「マジック・ジョンソン・エンタープライズ」社の広報担当者を通じ、この話について語ることを拒み、ライリーもインタビューに応じていないという回答だったという。そのなかで、当時マジックの代理人だったロン・ローゼン氏への電話取材に成功し、“真実”が明かされている。
 
「彼はトレードをアレンジしようとはしなかったよ(笑)。トレードは起こらなかった。それとは別なことが起こったけど、パットとアービン(マジック)、2人の話を聞いていたドライバー(自分)は友人以上の関係にあった。それは絶対無理だ」

 マジックとライリーは別々の道を歩んでいくなかでも頻繁に連絡を取り合い、ドライバーも務めていたローゼン氏はいろんな話を耳にしたという。なかにはスクープに値するような内容もあったというが、ニックス移籍の件に関しては明確に否定した。

「ニックスとレイカーズの間でトレードに向けた話し合いはなかった。私はすべての出来事に深く関わっており、何が起こったかを把握している。2人の友人同士が夢を抱いていた以上のことは何もない。それ以上のものに発展することはなかった」

 1990年前半のニックスは大黒柱のユーイングが円熟味を増していた時代で、彼の周囲にはジョン・スタークスやチャールズ・オークリーらいぶし銀の脇役もいた。夢のまま終わったが、もしそこにマジックが加わっていたら、大都市ニューヨークは“ショータイム・レイカーズ”のような熱気に包まれていたかもしれない。

構成●ダンクシュート編集部

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