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NBA

野球での挫折がジョーダンを丸くした?2度の3連覇の間の“空白の1年半”【NBAレジェンド列伝・後編】

出野哲也

2020.05.01

復帰後は再びリーグトップの実力を見せつけ、ブルズを頂点に押し上げたジョーダン。そのキャリアは常に挑戦とともにあった。(C)Getty Images

復帰後は再びリーグトップの実力を見せつけ、ブルズを頂点に押し上げたジョーダン。そのキャリアは常に挑戦とともにあった。(C)Getty Images

■NBA復帰後は円熟味を増したプレーでファンを魅了

 ところが、94年の夏からMLBは選手会による長期ストライキに突入してしまう。年が明けてもシーズン開始の目途が立たない状態で、ジョーダンは次第に野球への情熱を失い、同時にバスケットボールに対する熱い思いが湧き上がっていた。そして95年3月19日、“I’m back.”の復帰声明とともに、ジョーダンは再びブルズの赤いユニフォームに袖を通した。

 復帰当初は試合勘を取り戻すのに手間取ったが、万全の準備を整えて挑んだ95-96シーズンは平均30.4点で8回目の得点王になり、4回目のシーズンMVPに輝いた。チームもリーグ新記録(当時)の年間72勝、NBAファイナルでもシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)を一蹴し、当然のごとくファイナルMVPを受賞した。

 復帰後のジョーダンが、以前と変わった部分が1つある。性格的に多少丸くなっていたことだ。

 引退前のジョーダンは能力の劣るチームメイトに対し、非常に厳しく当たっていた。彼らが向上しないのは努力を怠っているからだと決めつけていたのだ。だが野球での挫折によって、努力が必ずしも結果に結びつかないことを学び、他者に対して寛容になっていた。野球選手としての経験は、こうした形で生かされたのだった。
 
 97、98年は2年連続してファイナルでユタ・ジャズを倒し、2度目の3連覇を達成。98年のファイナル第6戦、6度目の優勝を決定付けるシュートを決めたのを最後に、ジョーダンはユニフォームを脱いだ。その後2001-02シーズンから2年間、ワシントン・ウィザーズでもプレーしたが、この時期に関してはここでは語らないでおこう。

 ジョーダンのキャリアを振り返ると、改めて彼がいかに多くの常識を破ってきたかが分かる。NBAを制するにはビッグセンターが不可欠だとの認識も、一旦引退した選手が再び頂点へ返り咲くことなどあり得ないとの見方も覆した。ジョーダンがあれほどの人気を誇っていたのは、単にプレーの凄さや強さだけでなく、失敗に終わった野球や2度目のカムバックへの試みも含めて、その挑戦し続ける姿に人々が強く惹かれたからなのだろう。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2008年4月号掲載原稿に加筆・修正。

【PHOTO】引退後もその影響力は絶大!NBAの頂点に君臨するバスケットボールの”神様”マイケル・ジョーダン特集
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