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NBA

「誰もやりたがらないことをやる…」異端のスーパースター、デニス・ロッドマン。不良少年がリバウンド王になるまで【NBAレジェンド列伝・前編】

出野哲也

2020.05.13

ピストンズでリーグ随一のリバウンダーとしての地位を確立したロッドマン。しかし、指揮官の交代後は奇行が目立つようになり、ブルズへと移籍する。(C)Getty Images

ピストンズでリーグ随一のリバウンダーとしての地位を確立したロッドマン。しかし、指揮官の交代後は奇行が目立つようになり、ブルズへと移籍する。(C)Getty Images

 幼い頃に父が家出したロッドマンにとって、デイリーは父親のような存在だった。自分に目をかけてくれたコーチに報いるべく、ロッドマンはスキルを懸命に磨いた。オリンピックの陸上代表になれると言われたほどの運動能力に加え、ピストンズの先輩ビル・レインビアやリック・マホーンから対戦相手を肉体的・心理的に威圧する術を学び、ガードからセンターまでマッチアップできる万能ディフェンダーへと成長した。

 ディフェンス以上に彼の評価を高めたのは、リバウンドのテクニックだった。「ここで生き残るためには、誰もやりたがらないことをやるしかない。それがリバウンドだった」。身長は公称201cmと高くはない。それでも天性の勘の良さとビデオテープでの徹底的な研究によって、的確な位置にポジショニングし、タイミングの良いジャンプでボールをもぎ取った。「本数でなく、奪取率ではビル・ラッセルやウィルト・チェンバレンを上回る、史上最高のリバウンダー」(バスケットボール・アナリストのディーン・オリバー)との評価さえある。

 入団3年目の89年にはオールディフェンシブ1stチームに選出され、ピストンズもロサンゼルス・レイカーズを下して初優勝を遂げる。翌90年もチームの2連覇に貢献した上、個人としてもオールスター出場、最優秀守備選手賞を受賞。91年は2年連続で最優秀守備選手賞に選ばれ、92年には平均18.7リバウンドで初のタイトルを獲得。10代の頃は誰からも相手にされず、ホームレスも経験した男がNBAの頂点に上りつめたのだ。
 
■自殺さえ考えた自暴自棄の日々、そしてブルズでの華麗な復活

 それでもなお、ロッドマンの心の中では満たされない何物かがくすぶっていた。金銭的にも、社会的にも自分は正当に認められていないと感じたのだ。

 92年を最後にデイリーHCが退団すると、最大の理解者を失ったロッドマンは孤立を深め、奇行が目立つようになった。新任コーチのロン・ロスステインとは口を利くことすらなかった。自暴自棄になり、ライフル銃を抱えて車の中に閉じこもっているところを発見されたこともあった。その時の心境について、ロッドマン本人は「このまま引き金を引いて頭を吹き飛ばすか、生きながらえてじわじわと死んでいくか考えていた」と記している。

 93-94シーズンには半ば追われるような形でサンアントニオ・スパーズへ。移籍1年目は17.3本で3年連続のリバウンド王となり、攻守両面で負担の軽くなったデイビッド・ロビンソンの得点王獲得を手助けした。だが、ヘッドコーチが自主性を重んじるジョン・ルーカスから厳格なボブ・ヒルに代わった2年目には、糸の切れた凧のようになった。練習や試合に無断で遅刻したり、まったく顔を出さないこともあった。大事なプレーオフで先発から外された頃には、スパーズに彼の居場所はなくなっていた。

 そんなロッドマンを救ったのは、まったく意外なチームだった。ピストンズ時代にさんざん苦しめた仇敵、シカゴ・ブルズから誘われたのである。(後編へ続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2008年8月号掲載原稿に加筆・修正。

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