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NBA

【NBA背番号外伝】ノビツキーやアンセルドが背負った41番。過去の着用者にはある共通点も

出野哲也

2020.06.26

90年代における41番の代表格がライス。ホーネッツ時代の97年はリーグ3位の平均26.8点をあげ、オールスターでもMVPに輝いた。(C)Getty Images

90年代における41番の代表格がライス。ホーネッツ時代の97年はリーグ3位の平均26.8点をあげ、オールスターでもMVPに輝いた。(C)Getty Images

 ノビツキーと同様、サム・パーキンスも14が埋まっていたため41をチョイス。マブズに入団して最初の2年間が41番で、90年にロサンゼルス・レイカーズへ移籍してから引退まで14番で通した。彼もまたセンター並みの長身ながら、3ポイントが得意技だった。主にユタ・ジャズで活躍したサル・ベイリーや、現役組ではケリー・オリニクも同じカテゴリーに分類される。現在はマイアミ・ヒートで背番号9のオリニクは、ボストン・セルティックス時代に41番だったが、ノビツキーとは関係なく「(永久欠番の多い)セルティックスでは空いている番号が少なかったから」だそうだ。

 41番のビッグマンはほかに、ラサール・トンプソン、マーク・ウエスト、エルデン・キャンベル、コスタ・クーフォスなど。現役ではウィリー(シャーロット・ホーネッツ、現在は9番)とファン(ミネソタ・ティンバーウルブズ)のエルナンゴメス兄弟もいる。

 アンセルドの入団前にブレッツの41番だったジム・“バッド・ニュース”バーンズは64年のドラフト全体1位指名ながら、7年間で平均8.8点、6.5リバウンドと大成できなかった。シカゴ・ブルズ3連覇時(91~93年)のセンターとして有名なウィル・パデューは、サンアントニオ・スパーズ移籍後に32番から41番に変更、99年に4つ目のリングを獲得した。ウルブズのエディ・グリフィンは、亡くなった兄弟がつけていた番号である41番を背負っていたが、自らも07年に25歳の若さで飲酒運転により事故死した。長くレイカーズGMを務め、現在はホーネッツで同職にあるミッチ・カプチャックは、ブレッツ時代はアンセルドの控えで背番号25。レイカーズに移籍した81-82シーズンに41番に変え、翌年には25に戻している。
 
 90年代後半にノビツキーが登場するまで、41番の代表格だったのがグレン・ライスだ。ヒート創設時のエースで、95年に記録した1試合56得点は球団史上2位。ホーネッツ時代は3年連続でオールスターに選ばれ、97年には大会MVPに輝いた。在籍6球団すべてで41番を貫き、ミシガン大では永久欠番になっている。99年にライスがレイカーズにトレードされた際、交換要員となったのが前述のキャンベルで、珍しい41番同士のトレードになった。息子のグレン・ライスJr.は13年のウィザーズ入団時、41がアンセルドの欠番だったため14に変えている。

 75年にゴールデンステイト・ウォリアーズで新人王に選ばれたキース・ウィルクスも、当時は41番。その後イスラム教に改宗し、名前もジャマール・アブドゥル・ラティーフに変わったが、選手登録はジャマール・ウィルクス。レイカーズ移籍後は背番号52で、ショータイムバスケットの一翼を担った。そのほか、ピストンズ在籍時の80年代前半に強烈なブロックで名を馳せたテリー・タイラー、セルティックスが08年に優勝した際、控えから渋い活躍でチームを支えたジェームズ・ポージーもこの番号だった。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2015年5月号掲載原稿に加筆・修正。

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