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NBA

【NBA背番号外伝】近年は「30番=カリー」のイメージが定着。2000年代以前に同番号を背負った選手と言えば?

出野哲也

2020.07.31

 97年に引退し、現在は解説者としてお馴染みのケニー・スミスもシューター系で、キャリアの3ポイント成功率は39.9%の高確率を誇った。ヒューストン・ロケッツ時代の95年ファイナル第1戦では7本の長距離弾を沈め、オーランド・マジックをスウィープする端緒を開いている。

 テリー・ポーターも通算1297本の3ポイントを成功させた名シューターで、4人しかいない永久欠番の1人。77年優勝のボブ・グロスともども、08年にポートランド・トレイルブレイザーズの欠番となったが、選手としての実績はポーターの方がはるかに上だ。むしろ欠番扱いにするなら、グロスよりラシード・ウォーレスがふさわしかったという声も少なくない。ブレイザーズ時代の01年に41回のテクニカルファウルを犯すなど、問題児として知られたウォーレスだが、04年に移籍したデトロイト・ピストンズで優勝を経験。211cmとセンター並みの長身ながら、アウトサイドシュートを軽々と決めてみせた。

 そのほかクリフォード・ロビンソン(フェニックス・サンズなど3球団で着用)、デイビッド・ウエストなどもシュート力に秀でたビッグマンだったが、彼らと正反対のタイプではトゥリー・ロリンズが挙げられる。83年にブロック王となり、通算2542ブロックは史上9位。ディフェンスやリバウンドに特化したブルワーカーで、得点エリアはゴール下に限られた。00年代のピストンズで最優秀守備選手賞4回受賞し、「守護神」の表現がぴったりだったベン・ウォーレスも、NBA入りした最初の3年間はワシントン・ウィザーズで30番。同じく30番でデビューし、その後3番でブレイクした選手にはジョン・スタークス(元ニックスほか)もいる。
 
 大物とは言えないが、強豪チームでいぶし銀のプレーを見せた30番も多い。80年代にボストン・セルティックスの応援団長だったML・カー、96~98年のシカゴ・ブルズ3連覇時のメンバーであるジャド・ブシュラー、12、13年にマイアミ・ヒートの連覇に貢献したノリス・コール。セルティックスのグレン・マクドナルドは、NBA史上最高の試合と言われる76年のサンズとのファイナル第5戦、トリプルオーバータイムだけで8得点を記録。勝利の立役者となり、同年の優勝につなげた。

 そのほか、オールラウンダーのビリー・オーウェンス(元サクラメント・キングスほか)、96年のジャパンゲームでニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツの一員として来日したケリー・キトルズ、プエルトリコ代表として04年アテネ五輪でアメリカに土をつけたカルロス・アローヨ(元ジャズほか)も、長くこの番号でプレー。カリー兄弟以外の現役では、ジュリアス・ランドル(ニックス)が若手のスターとして進境著しい。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2015年3月号掲載原稿に加筆・修正。

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